今は春。『正反対な君と僕』が好き


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連載開始当初からずっとフォローし続けているのだが、とても良い。

同じ作者の『氷の城壁』も、去年読んだ。これも良い。

複数のコメントにあがっていることだが、思春期特有の感情描写がめちゃくちゃリアル、という点が、どちらにも共通している良さだ。

そして何より本作の魅力は「正反対」の(ヘテロの)カップリングが多様で、それぞれの子供達の内面が描写されるので、自分に近いキャラに感情移入しつつ、それを取り巻く周囲の人はこういうことを思っていたのかもな、と想像させる力があることだ。

記憶が喚起される。
大人になった今、思春期の記憶が喚起されると、今の景色や感覚と対比される。
いわば今の感情を図る「定規」のような、あるいは「示準化石」のような機能が、この作品にはある。

それで今回は、大人と高校生当時の時間感覚のギャップについて解像度が上がる思いだった。
このギャップについてはメモる価値があると思ったのでこうして書いている。

ここ数話はまさに今のタイミングと同じ、新学期シーズン。
環境の変化が人間(恋愛)関係にも影響を及ぼすのでは?と不安に思う(メタレベルの)気持ちも含め、登場人物それぞれの心境に変化が起こっている。
この関係が続くのか、変えたいのか?自分は?といった「関係性」についての悩み。

多感な時期という慣用表現があるが、おそらくは関係性について敏感だからこそ、関係性を描く「文学」にハマるのだろう。(それがたとえ純文学でなくポップなジャンルだとしても、そこに関係性を読んで感応するのだから、読書体験としては文学的といわれるべきだ=要約:漫画を読むのも読書です)
今でも口ずさめる曲は大概、思春期の時分に流れていたものだったりする。

大人になってからはいつの間にか会計的な期間、四半期ベースかつ対前期比の時間観念が強まって、「関係性」など望むべくもない(わけではないのだが、忙殺されるとそうなる)。

2024年が始まってもう3ヶ月が-四半期が-経ってしまった。
きっとこの1年も「あっという間だったねえ」と大人同士言い合って終わるだろう、という諦念。

それとは「正反対」に、この1年の間にどれだけ身の回りの「関係性」が変わってしまうのだろうか、と確かに思春期には思っていたことを思い出させられた。

大人にすればわずか半年後は10月なわけだが、こうなってくると高校生は受験シーズン真っ只中となってくるだろうし、高校3年の前半で「思い出作っとかなきゃ」的な焦りがあったりもするのだろう。
そうした決意と焦りと、先述のような不安とが交錯するのが確かに春だった。

今は春だった。
気候変動のせいか夏のような気温になったりもするし、大人になって職業なり所帯なりで「関係性」は落ち着いてきてしまう今日この頃ではあるものの、今は春。

過去の自分の置かれた状況と、今の自分と、この作品の中の人物達の相互の関係と、全てが全てにおいて異なるのだが、春のこの感覚だけがそのバラバラな対象を結びつけている。

そこのところに救いがある。
感覚は再生する。感度は再び上がる。
良い意味で過去とは断絶していないし、この1年をあたかも思春期のような感受性で過ごすことはきっとできる。

「ポジティブ」とは言いたくない。脳科学や心理学の話ではない。
これは<過去>と<漫画>という(もう)触ることのできない圧倒的な他者と、どうにもならない肉体と脳を引きずる<今のワタクシ>の間に「関係性」が復活する、そういう希望の感覚の話だ。

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