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われに返った気持ちを言葉にするならば

先日、トークイベントを拝聴して、なんともわれに返ったような気持ちでいる。この数年、何をしていたのだろう。出会いの数々、足を運んだ場所、広く世界を見て、動いている方々からすれば、とてもとても小さな距離を移動して、過ごしているにすぎない。その日々を、たしかに楽しみ生きていた。「何かをしたい」から起業することになって、側から見れば「そんなの起業ではないよ」と言われるとしても、個人事業主になるなど考えてもいなかったから、何もかもが新しかったのだ。

仕事と呼ばせてもらえるのなら、その仕事は、それほど多くを集める仕事ではないことを理解しているし、「それって逃げじゃない?」と言われたら、そのようなのかもしれない。だけれど、現在の仕事を続けている限り、覆いかぶさるように、何かがつきまとう気がするのだ。おそらく、自分の中で自分を認めていないというよりも、仕事とは思っていないからだと知る。

時間がどうだとか、生きることがどうだとか、そのようなことは、ずいぶんとあちこちで目にして、自分でも感じてきた。それはとても大切なことだけれど、仕事というものがどこか抜けているような感覚である。あまりにも、仕事というものとかけ離れたところを歩いてきてしまった、そのような感覚でもある。たとえば「あなたは何ができるの?」だとか「もっともっと経験を積みなさい」ということが来るのなら、理解している。ただ思う。あの、数日前のわれに返った気持ち。なんだかんだと、理想論の決める道を動こうとしていたが故に、自分を困らせてしまったのではなかろうか。それは結果的に、他をも困らせることでもある。

これらを、「自分を大切にする」だとか「自分を愛する」といったチープな言葉で語ると、また何かがずれるように感じている。もしかすると、どこかでそのような言葉を並べたことがあったかもしれないが、もっと適する言葉があるからだろう。



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