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ダライ・ラマ法王から学んだこと

「今度チベットのダラムサラに行きたいね。
ダライ・ラマに会いに…」

成田で田んぼの草取りを手伝った帰りの車中で
友人とこんなことを話しあったことがありました。

かねてからダライ・ラマ法王の著書や
インタビュー記事をとおして尊敬申し上げていたわたしは
友人のその提案に、ワクワクを通りこし
心臓の音が聞こえるほどドキドキしました。

世の中がコロナ禍に巻き込まれる
半年ほど前のことでした。

  それからまもなく

「私は必ずしも宗教的な倫理観が必要とは思っていないのです。モラルというものは必ずしも宗教的な面から出てくる必要はありません。世俗の倫理観が持っている可能性、あるいはその能力で充分だということです」

どんな人も元来、素晴らしいのだから…という
信頼があってこその、法王の大胆な発言に出会いました。

宗教的を学術的、に
倫理観を価値観、に
モラルを審美眼、に置き換えると
音楽芸術にも当てはまることだと思うのです。

つまり、

“音楽芸術は、必ずしも学術的な観点から
理解される必要はない。
それを美しい、素晴らしいと受けとる心の素地は
すべての人が、すでに充分に持っているのだから”…

時として音楽は、理解すらも求めません。
音楽には、思考を介さず
共感や感情体験をとおして
人を(もっと)幸せにするエネルギーがあると思うのです。

それ伝える使命に生きよう、という心の声の次に
マザー・テレサの言葉が聞こえてきました。

「あなたのカルカッタでそれをなさい」という。。

わたしのカルカッタとは?いちばん大切な場所は?

それは、わたしを育ててくれた両親がいて
デビュー後かけ出しの音楽家のわたしを育ててくれた
故郷宮城県でした。

やがてコロナ禍になり、母が脳梗塞に倒れ、、
今思えば、転機はそのように段階を経て起こったようです。
母が無事、回復した数ヶ月後には
川崎町に、この杜音の土地を買っていました。

宮城県北部の“エコラの森”にて。
“杜音”の大黒柱になる木を伐採中の筆者。

皆さまの場所から少し遠いかもしれませんが
ぜひ、川崎町の自然のなか
鳥の声や風の音と混りながら響くピアノの音を
聴きにいらしてください。

毎月、新月🌑の昼下がりにお待ちしております☺️


ピアノで紡ぐ季節の音 Food for Joy 〜皐月 そよ風と太陽〜

(*写真は2021年大崎市の“エコラの森”にて。
杜音の“大黒柱”になる木を伐採中の筆者)

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