何気なく聴いてみたら驚いた(^O^)!!♪

このところの気温の高低差の甚だしさはかなり身体にこたえたようで、何となくイライラしがちで、気分も言われもなくザワザワとしている。
こんな時はマインドフルネスか散歩なのだけれど、身体がシンドいと気が進まない。
そこで、音楽に助けてもらおうと、白羽の矢を立てたのは、コラ奏者のバラケ・シソコ様。
聴いたことのないものを聴いてみようと、YouTubeでふと見つけたのがこの曲。

聴き始めから「む!?」と身体が反応した。
静かなのに、エモーショナルなグイグイとした何かが私を惹きつけた。

気づくと、私は大平原にポツンとただ一人立ち尽くしている。
なのに、この音の中に居る私は寂しくない。
今出来ることは何もないのはわかっている。
立ち尽くしているだけでイイんだと、なぜか知っている。
動けるのなら、自由に動いてもイイけれど、むしろ、立ち尽くしているだけでイイんだと、なぜか知っている。
「出来ることを力まずにすればいい。流されずに自ら流れていくんだよ」と、
この音楽がそっと囁いてくれているような気がして、胸が熱くなった。

ふ〜〜〜っと、力が抜けていく。

「アザデ」とはペルシャ語で「自由」という意味らしい。(Googleで調べただけだから、真偽の程はわかりません。)
ペルシャのパーカッション・トリオ(クラシック?)ケミラミというグループと、キューバのジャズピアニスト/オマール・ソーサとマリのコラ奏者/バラケ・シソコという組み合わせ自体に、この音楽の凄さでもあるのかしらん?

自然や大地(地球)の流れに、「普通でしょ?」と言わんばりに流れていくような「流れ」の素敵さに魅了されます。
それは、(自分でも不思議なのだけど)なぜか憧れに近い「懐かしさ」のようなものを孕み、私を包み込んで行く。
気づけば、借りてきた猫のように静まっている私の中。

それにしても、エモーショナルなのに、この底に流れている静けさは何だろう!?

そうか、私たちは、自分の中にあるエモーショナルなエナジーの使い方を忘れているだけなんだな、きっと。
目先の身体、目先の感情に流されやすいから、批判的だったり否定的になりがち。
そこからは比較や対立ばかりに囚われて、静かに「観る」ことが難しくなっていく。
でもきっと、もっとその奥にある静けさと繋がっていければ、エモーショナルなエナジーは、違う働きかけをしてくれるのではないかな……と思わせる「なにか」を感じさせる。

この音楽の奥から立ち上がってくる静かな温かさと一筋の希望のように。

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