minakouda

2021年3月に突然、脳内出血で倒れ3ヶ月の入院とリハビリの日々を経て7月に退院して、…

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2021年3月に突然、脳内出血で倒れ3ヶ月の入院とリハビリの日々を経て7月に退院して、プチ身障者の日々を送っています。身体はちょっと不自由ですが、不自由だからこそ気付くことも多く、不自由だけど不幸って訳ではありません。無理せず何かを自分の外にも発信しようと、書く場所を作りました。

最近の記事

今年の私のテーマ

今年の私のテーマは「流されず流れるように在る」ことです。 現代は情報と「こう在るべき」という思い込みや幻想で満ち溢れているように感じます。 自分以外の人間の感情や文化を無視した小利口なエゴの屁理屈のオンパレードで、誰もが「褒めて!褒めて!」と、喧しくて、息苦しさを感じます。 だからこそ、このOSHOの言葉がとっても大切だと感じています。 “ときには、ただ生きてみることだ。  ただ生きる…生と闘わず、生を無理強いせずに。  そっと物事が起こるのを見守ってごらん。  起こるこ

    • ヴィム・ヴェンダース作品 『Perfect Days 』とジム・ジャームッシュ作品『パターソン』と

      役所広司さんがカンヌ映画祭で主演男優賞を受賞したので話題になった 『 Perfect Days 』を3週間ほど前に観てきました。結構良かったのだけれど、時々違和感があったので、批判するのは違うかなぁ…と思いまして、書かずにおりました。でも、ふとジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』という映画を思い出して、「あぁ、私は、『パターソン』という映画を日本人の主人公で描いてもらいたかったのかもなぁ……「自分の日々を大切に慈しむ様に楽しんで生きる」というテーマをPerfect day

      • ひとりごと

        義兄が死んで、コトあるごとに、今までのこと(忘れかけていたことまで)がフィードバックして来て、かなり消耗し、今のことでではなく、忘れかけていたけれど、忘れられないことを確認して泣いてばかりいたのだけれど、やっと落ち着いて来て思ったこと。 「実はきっと全てが赦されている」と、以前に思ったことは本当なのだけれど、自分が身をもって「全ては赦されている」と実感するのがこんなに大変なことだとはわかっていなかった…ということ。 頭の中ではわかっていても、「心も身体もわかる」というのは本当

        • 「息をつく」ことの大切さ

          前回の投稿で、『ワーニャ伯父さん』のソーニャの台詞に息をつくことが出来たことを書かせて頂きましたが、今回は「息をつく」ことの大切さについて考えてみたいと思います。 ソーニャの台詞との出会いは、私にとっては「心の呼吸を取り戻す」ことでもありました。 フと心に隙間が出来、心の中の風通しが良くなり、「心が息を吹き返した」感覚がありました。 固まりかけていた自分が少しほぐれて弛んでいくような……自分に戻れたような……そんな感覚でした。 ………つまりは、当時の私自身は余裕もなく、心を

        今年の私のテーマ

          【 共鳴して涙を流すことの大切さ💧】 前回を読んでくださったことに感謝を込めて

          お正月早々、重たい話を書くことには、私なりの覚悟がありました。 それは、おめでたいことは、明るい話題ばかりではないことに少しでも気づいて頂きたかったことです。 去年の12月から私は自分で持て余す程泣いてばかりいましたが、ありがたいことに連れ合いは、「そーゆーコトもあるよね」と、受け入れてくれていました。 ですから、様々なことに出会う度に安心して涙を流し続けていた訳ですが、不思議と浄化されていくような感覚があり、次第にぼんやりと光さえ感じ始めていました。その涙とは、共鳴した時

          【 共鳴して涙を流すことの大切さ💧】 前回を読んでくださったことに感謝を込めて

          大変な年末調整がありました

          (※新年早々かなり重たい内容になってしまいましたので、面倒臭いことを避けたい方は、どうぞスルーして頂けたら幸いです。) おかげさまで、日常の家事(料理、洗濯、掃除、買い物等々)は、ちょっと時間がかかることも多いですが(用心しすぎと無駄な動きが多いせいで…) 大抵のことは一人で出来るようになったし、歩くのも(用心の為に杖は使いますが) 何とかなるようになりました。 しかし、昨年の12月はなかなかハードな年末調整が起きました。 義兄(紅の兄)が12月の後半に他界いたしまして、

          大変な年末調整がありました

          誰もが知らず知らずのうちに必要とされている❤️

          『共に幸せになる難しさ』を書いて、ふと思い出したエピソードがあります。(何故思い出したのかは謎です。) 既に私の両親は亡くなり、4年前に父を、2年前に母を看取っております。 その3年ほど前に二人とも入院しなくてはならなくなったことがあります。(病院は全く違う所)……そんなこんな(?)で実家に行く用が多くなり、忙しい日々を送っていた時期でした。 ……とは言え、当時から私もバセドー病を抱えていた時期なのでハフハフしておりましたが、ある日、不思議な出来事がありました。 実家の最寄り

          誰もが知らず知らずのうちに必要とされている❤️

          共に幸せになる難しさ

          去年の3月に脳内出血で入院し、6月に退院して以来、杖をついて歩いていると、度々見知らぬ方に呼び止められることがあります。入院前は場所やお店を尋ねられる事がよくあったので、またソレだろう……と思い立ち止まると、「もしよろしかったら、10分ほどお時間をいただけたら、自由に歩くことが出来るようにして差し上げられますヨ。」と、声をかけられます。「結構です!!」とスタコラ立ち去ろうとしたら、手をかざしながら(念を送るようにしながら)追いかけられたこともありました。「断りもなくされるのは

          共に幸せになる難しさ

          近々やりたいと思っていること

          「noteを始めた!」と思った矢先に、な、なんと私は2023年3月中頃に脳出血で倒れまして、3ヶ月も入院しておりました。1ヶ月間近くの朦朧とした日々を過ごし、「これからは車椅子生活かも……」と囁かれ、トイレにも自由に行くことが出来ず、リハビリの毎日を送るという日々を2ヶ月余り送り、病院の皆さんのおかげで、なんと(杖をつきながらですが)歩けるようになり、今は退院しております!!! この入院生活の3ヶ月と退院後の2ヶ月半は何もかもが初めての体験で、不自由な身体から知ったことで、色

          近々やりたいと思っていること

           「何故人を殺してはいけないの?」への私考

          「人を殺してみたかった」 この言葉には悲しみしかない。 なのに、また目にしてしまった……。 長崎大学の学生が見ず知らずの初老の婦人を殺害して取り調べで言った言葉らしい……。 以前に、教師をしている友人が 「生徒が “どうして人を殺してはいけないんですか?” と質問してきたらどうしたらいいのか……」と嘆いたことがある。 「簡単だよ。いきなりその子どもの首を絞めて、“こうされたら、あなたはどう感じる? それが答えです! ” と、私なら答えるな。」と言ったら、 「それは無理……

           「何故人を殺してはいけないの?」への私考

          過去を変えることはできない。‥でも…

          「過去を変えることは出来ない。  そう思い知らされることが、  人生においてはたびたびある。  でも過去をどう語るかは変えられるし、  それによって未来も変えられるのだ。  _______エレノア・ブラウン これは、今日偶然に観た海外ドラマ『クリミナルマインド 14シーズン』(再放送)の最後に登場した言葉だ。 前世療法で過去(前世)にまで遡ってトラウマ的な「とらわれ」を治療する話題を連れ合いとしていて、いろいろ考えることがあったので、タイムリーな登場に、思わず「おぅ!」と

          過去を変えることはできない。‥でも…

          呼吸

          呼吸  日々刻々 私は死に  日々刻々 私は生まれる  だから  いまを  私は生きる  息を 吸い  息を 止め  息を 吐く  息を止めた瞬間こそが  死と誕生の間(はざま)の瞬間  いま この時だけ 私は生きている  吸って 止めて 吐く  この間(はざま)の連続こそが「生きる」ということなんだ  そうか  なんて  単純だけど難しい法則なんだろう  「呼吸の息を止めた瞬間が『無になれる時』だ」と聞いたことがある。  OSHOは、  「お茶を飲んでいる時は

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          何気なく聴いてみたら驚いた(^O^)!!♪

          このところの気温の高低差の甚だしさはかなり身体にこたえたようで、何となくイライラしがちで、気分も言われもなくザワザワとしている。 こんな時はマインドフルネスか散歩なのだけれど、身体がシンドいと気が進まない。 そこで、音楽に助けてもらおうと、白羽の矢を立てたのは、コラ奏者のバラケ・シソコ様。 聴いたことのないものを聴いてみようと、YouTubeでふと見つけたのがこの曲。 聴き始めから「む!?」と身体が反応した。 静かなのに、エモーショナルなグイグイとした何かが私を惹きつけた。 気づくと、私は大平原にポツンとただ一人立ち尽くしている。 なのに、この音の中に居る私は寂しくない。 今出来ることは何もないのはわかっている。 立ち尽くしているだけでイイんだと、なぜか知っている。 動けるのなら、自由に動いてもイイけれど、むしろ、立ち尽くしているだけでイイんだと、なぜか知っている。 「出来ることを力まずにすればいい。流されずに自ら流れていくんだよ」と、 この音楽がそっと囁いてくれているような気がして、胸が熱くなった。 ふ〜〜〜っと、力が抜けていく。 「アザデ」とはペルシャ語で「自由」という意味らしい。(Googleで調べただけだから、真偽の程はわかりません。) ペルシャのパーカッション・トリオ(クラシック?)ケミラミというグループと、キューバのジャズピアニスト/オマール・ソーサとマリのコラ奏者/バラケ・シソコという組み合わせ自体に、この音楽の凄さでもあるのかしらん? 自然や大地(地球)の流れに、「普通でしょ?」と言わんばりに流れていくような「流れ」の素敵さに魅了されます。 それは、(自分でも不思議なのだけど)なぜか憧れに近い「懐かしさ」のようなものを孕み、私を包み込んで行く。 気づけば、借りてきた猫のように静まっている私の中。 それにしても、エモーショナルなのに、この底に流れている静けさは何だろう!? そうか、私たちは、自分の中にあるエモーショナルなエナジーの使い方を忘れているだけなんだな、きっと。 目先の身体、目先の感情に流されやすいから、批判的だったり否定的になりがち。 そこからは比較や対立ばかりに囚われて、静かに「観る」ことが難しくなっていく。 でもきっと、もっとその奥にある静けさと繋がっていければ、エモーショナルなエナジーは、違う働きかけをしてくれるのではないかな……と思わせる「なにか」を感じさせる。 この音楽の奥から立ち上がってくる静かな温かさと一筋の希望のように。

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          note始めます٩(๑❛ᴗ❛๑)۶♡

          長年ひっそりとブログを書いてきましたが 最後のブログとなるものを書いた後、父が認知症と判明し、バタバタと何かに追いまくられるような日々となり、ブログを書く余裕を失くしてしまいました。 父は3年前に亡くなり、母が一人暮らしとなり、その後は母のサポートの日々を送ることになりました。 父の頃よりは少しは余裕も持てるようになり、時々ブログも書いていましたが、 一昨年に母が癌でステージ4が判明し、すったもんだあり、再びブログがストップしてしまいました。 運良く良いホスピスと巡り合え、母

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          note ID変えました(;´д`)ゞ

          今までMinako Udaというアカウント名で書いていましたが、アカウント名を変えました。つまりは、IDを変えたと言うことです。 気がついたら、使っていない古いメールアドレスのままでやっていたので、変更しようとしたら、(初めは、友人のnoteを読むために加入したもので(^^;)))/)ログインパスワードがわからなくなり(多分古いファイルにメモっていたのですが、それを間違って削除してしまったので……)パスワードの変更はできないわ(パスワード変更には加入時のメアドに確認メールが届

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