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呼吸

呼吸

 日々刻々 私は死に
 日々刻々 私は生まれる
 だから
 いまを
 私は生きる

 息を 吸い
 息を 止め
 息を 吐く

 息を止めた瞬間こそが
 死と誕生の間(はざま)の瞬間

 いま この時だけ 私は生きている

 吸って 止めて 吐く
 この間(はざま)の連続こそが「生きる」ということなんだ

 そうか
 なんて
 単純だけど難しい法則なんだろう

 「呼吸の息を止めた瞬間が『無になれる時』だ」と聞いたことがある。
 OSHOは、
 「お茶を飲んでいる時は思考が停止している」と言っている。
 (仏教では「お茶を飲む」ことは大切なこと。)
 息を 吸い、止め、吐く
 間(はざま)の「止まる」瞬間こそ、 
 自分自身になれる瞬間(= いま )なのかもしれない。

   * * * * * *

 母が移行しようとする瞬間に立ち会って感じたこと。
 (2021年3月17日0時15分に母が別の世界へ移行しました。
  無事、3月19日に葬儀をすることができました。)

 昼にも面会していたのに、
 夜中に病院から電話をいただき、看取るために駆けつけ、
 お祈りをしながらフと母を見たら、「ふっ」と何かが抜けたように感じた。
 「ン?」と思ったら、母がもう母ではなく、「モノ」のように感じた。
 「もしかしたら、今逝ったの?」と瞬時に思った。
 「もしかして、逝ってしまった……」と連れ合いに言っていたら、
 別室でモニターをチェックしてくださっていた看護師さんが
 「今、心停止して、息を引き取られました」と部屋に入って来た。
 ゆっくり静かに消えていくように「逝く」のかと思っていた。
 母の場合だけなのかもしれないけれど、
 軽く静かにフッと呼吸が終わったように感じた。
 母の今生の「いま」は終了したのだ。
 でも、母はもう身体にはいなかったけれど、私の周りに居るような気がした。
 母の存在が広く拡がっているようだ。
 きっと、母の「次」は別の形でもう始まっているのだろう。

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