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誰もが知らず知らずのうちに必要とされている❤️

『共に幸せになる難しさ』を書いて、ふと思い出したエピソードがあります。(何故思い出したのかは謎です。)
既に私の両親は亡くなり、4年前に父を、2年前に母を看取っております。
その3年ほど前に二人とも入院しなくてはならなくなったことがあります。(病院は全く違う所)……そんなこんな(?)で実家に行く用が多くなり、忙しい日々を送っていた時期でした。
……とは言え、当時から私もバセドー病を抱えていた時期なのでハフハフしておりましたが、ある日、不思議な出来事がありました。
実家の最寄りの駅は丸の内線の「南阿佐ヶ谷」なのですが、私の住んでいる最寄りの駅「西荻窪」にはJRに乗り換えなくてはならず、交通費もかさんでしまいます。
その日実家から帰ろうとしていた時、実は私の体調はかなり下降の一途を辿っており、交通費より体調を選んで最寄りの丸の内線「南阿佐ヶ谷」から帰ろうとしましたが、駅の入り口に駅員さんが立っていて
「只今人身事故により、全面ストップしております。申し訳ありませんがJR「阿佐ヶ谷」駅を御利用ください!」……とのことでした。
JR「阿佐ヶ谷」駅はそこから歩いて10分ほどあります。駅に向かうにつれて、さらに体調の下降は加速していきます。「まいったな……」と思いつつ、やっとの事でJRの駅に辿り着き、電車に乗りましたが、運悪く座る事も出来ず、あまりの気分の悪さに次の「荻窪」駅で降りてホームのベンチに座り込んでうめいておりました。
5分ほどうずくまるように座っていると、誰かが話し掛けているような気配を感じ、フト顔をあげると、70~80才くらいの白髪の上品そうなお婆さんが立っていました。目が合うと。おもむろに、「中野駅からコッチ側の駅を言ってみていただけます?」と話し掛けてきました。
「は!?」…私にはこのお婆さんが何を言っているのかさえサッパリわからず、キョトンとして見つめ返してしまいました。「ひとりで出掛けても近い所だから大丈夫だと思ったンですけど、私、実はちょっとボケていてね、どこへ行けばイイのか駅名がわからなくなったの。中野からコッチの駅名を言ってみてくださる?」ともう一度、彼女は言い直してくれました。「ああ、それなら、中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、ですヨ」「ア、阿佐ヶ谷だわ、阿佐ヶ谷!…で、阿佐ヶ谷に行くにはどの電車に乗ればイイの?」ちょうど、阿佐ヶ谷に行く電車が私達の目の前に滑り込んできたので、「これです、これです。この電車に乗ってすぐ次ぎの駅が「阿佐ヶ谷」ですから、この電車に乗ってください」
で、あわてて彼女はその電車に乗ろうとします。彼女の背中に「すぐ次の駅で降りるんですヨ~!!」と繰り返し叫ぶ私。彼女の乗った電車が走り出しても「このお婆さんが無事「阿佐ヶ谷」駅で降りて目的地に着けますように!」と必死に思っていましたが、「ン!?」と気がついたんですネ。ナント、私自身の気分が良くなっていたンです。あのお婆さんが私の意識を切り替えるキッカケをくださったのか、あのお婆さんに出会う為に体調が悪くなっていたのか、……理由はともあれ、なんともありがたい事でした!!
実は、痴呆症のお年寄りには以前も助けていただいた事があるンです。その頃から5年程前のことになりますが、バセドウ病の眼の治療で入院した時にその時使った薬の副作用で(私の胃が弱っていたのもありますが)胃に穴が開いてしまい、眼の治療半ばであったにも関わらず、急きょ別の病院に転院しなくてはならなくなりました。眼の治療費は用意してありましたが、転院した先の治療費までは用意していなかったのと、これからの自分の身体のこととで、暗く重い気持ちで「どうしよう……」とばかり考えていました。6人用の大部屋に体中管だらけになってベッドに寝ていたのですが、相変わらず「どうしよう……」とクヨクヨ考えていたら、フト人の視線を感じ、目をあげてみると、仕切りのカーテンの間に80~90才くらいのお爺さんの顔が浮んでいるのです。どういう訳か、あまりに突飛なコトが起こると意外に慌てないモノですネ。「ン!?」と思って思わずその浮んだお爺さんの顔を見つめ直すと、ナントその浮んだお爺さんの顔が「なんとかなるヨ~!!」と一言だけ言ったのです。その声に気づいた看護士さん達が慌ててやって来て「伊藤さん!!女の人の部屋に入っちゃダメ!!」と連れて行ってしまいました。
途端に思わず吹き出して笑っている私がいました。
「そうだなァ…きっとなんとかなるんだヨなァ……」と、気づけば心も軽くなっていました。(この伊藤さんというお爺さんはいつも色々なシチュエーションの妄想でブツブツと廊下を歩いている方で、看護士さんとのやりとりも賑やかで、ベッドの中で密かに楽しませて頂いていた方でした。)
こんなふうに、きっと気づかない所で私も誰かの何かの役にたっているのかもしれない、……と思うと、心が少し暖かくなるのは何故でしょう。……あれこれ我を張る必要もなく、今あるわたし総べてのこのままで、どこかで役に立っていると思えると、何故だかとってもうれしい気持ちになれますネo(^▽^)o
このお二人の存在は、認知症になっていく両親に対しても寛容さを私にギフトしていただけた……と感じます。認知症になろうと、訳のわからないことを話していようと、父や母の本質は変わったわけではなく、時系列が混乱していようが、勘違いしていようが、そこには父や母なりの「そうしている理由」があるだけなのですから。まるで、難しいクイズを出されているかのように、「何か、不安になる事でもあったの……?」と尋ねてみたりしていましたっけ……。今となってはコレも懐かしい思い出です。
(念の為に言っておきたいのですが、「ボケたらおしまいだ!」と言うのは間違いだと思います。思い遣りをもって向き合いさえすれば、全く「おしまい」ではなく、こちらの側の対応次第で何とかなるものだと思います。実体験も込めて…。)
気張らずマイペースでいきたいものです。ンじゃ、また。


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