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自分探しは終わった

5月末にダンスの発表会に出ました。
昨年の夏に始めた時は、人前で踊ることは全く頭になかったので、想定外の流れではありました。

このことをきっかけに、先日ふと思ったのです。

自分探しは終わった

自分探しの旅にピリオドが打たれた

発表会はすごく楽しく、踊るのって楽しい、もっと続けていきたいって強く思いました。これまでのわたしであれば、鼻息荒く次のステップに踏み出すことに注力し、いかに上達させるかとか、そういう考えになったり、それに向けて行動していたと思います。

でも、今回はちょっと違うのです。

良い意味で諦めが出てきたのです。
ああ、もうこれでいいや、十分だ。

これはダンスそのものに対する諦めじゃなくて、自己実現とか自分探しとか、そういうことが、もういいやっていうことです。

常に自分探しを続けていたここ10年くらい、もしかしたら20代くらいから、それは始まっていたのかもしれないけど、いつも何かを追い求めていたわたしにとって、「飽き」からの諦めでもなければば、「嫌いになった」からの諦めでもなければ、「なんか違う」からの諦めでもない新しい種類の諦めの感情でした。


わたしにとってダンスは、なんか楽しいから踊りたくなり、感情や想いを表現することができるからやりたいし、何よりも心が落ち着くから続けています。

しかも、この表現するっていうのは、スポットライト浴びて舞台に上がってなきゃ!というのでもなく、普通にレッスンで踊ったり、なんなら自室で音楽に合わせて踊るっていうので十分なんです。

これは多分発表会を経験させてもらったから気付いたんだと思います。
ありのままを出しても大丈夫な世界があり、自分の世間とちょっとズレているとこを出しても大丈夫な世界がある。

このことに気づけたからこそ、自分探しが終わった、に行き着いたんだと思います。もう何かを追い求めることは無いだろうなって漠然と感じているからです。

自分探しが終わったことについて、うまく説明できないのだけど、色々と諦めがついたっていうのが、一番近い表現かな。

ただ、楽しむ。なんの打算もなく野心もなく、そう思えたのはもしかしたらダンスが初めてかもしれません。

これからの人生、興味があることややりたいことって出てくると思うけど、今、この感覚がわかったから、これからも単純にそのことを楽しむことはできそうな気がします。

いや、ダンスに対しても野心は少しありますよー笑
もうちょっと上達したいとかね、こういう動きを音楽にピッタリと合わせたい、表現力磨きたい、とかね、、、、そういう類いのこと。

なんていいうか自己実現のため、自分探しのためにダンス上達は全く考えてない。

多分その点が今までやってきたことと違うんだと思います。


自分探しはやってもいいし、やらなくてもいい


自分探しが終わった、とはいえ、わたしは自分探しに否定的な意見を持っているわけではありません。
誰もが通る道だと思うし。

これは、わたし個人の意見だから他の人に当てはまらないと思うけど、人は満足しないと求め続けるループにハマり続けるのだと思います。

わたしがそうだった。

何か一つでも満足感を得られると十分だなーって。
ふと気づいたのです。

悟りとか、そういうことじゃなくて。

あと、やり切ることもポイントかもしれない。
自分探しやりすぎたからね、わたしの場合。
でも、やったからこそ色々とグルグル回ったからこそ、このことに気付いたので、結局自分探しやってもいいし、やらなくてもいい、という所に行き着く。


発表会前に珍しくオラクルカードを引いたのです。
(わたしは、もう長いことタロットやオラクルカードを引くことから離れています。たまーに流れがどんな感じだろう?と思うと、数ヶ月に1回くらい、Tree Angel Oracleを引く程度です)

そこでこんなカードが出たのです。


Tree Angel Oracle

内なる世界に分け入って、自分を明け渡しなさい
何事も願わず、何の計画ももたず
何ものも恐れず、怒りもなく
未来を思わず、過去も振り返らない
ためらうこともなく、すがりもしない
万物が呼吸するごとく、呼吸しなさい
宇宙の振動にあわせて、震えなさい

ーTree Angel Oracle  PIPAL

フレッド・ハーゲネダー、アン・ヘング著 ホワード七歩子訳 The Tree Angel Oracle 

このカードが出たときは、最後のあがきで、どうやって踊ったら観てくれる人が退屈しないかな、、、とか、もうちょっと上手く踊りたいなあっていう気持ちがありました。

この時は、カードの伝えようとすることが、あまりよくわからなかったのですが、今ならわかります。

悟りの状態は全くないけど、ここに至るまでの心の葛藤や行動していたこともあるけど、そういうのを経たうえで委ねるということを初めて体感したことが、自分探しピリオドにも繋がったのだと思います。

色々な教えやメソッドやカウンセリングやカード(笑)が、手放しなさい委ねなさいと言ってきて、いつもわかったような気になっていたけど、全くそんなことはなくて、だから自分探しのループにハマっていたけど、やり尽くし上で諦めることがわかったので、自分探しは終わったんだと思います。

自分探しが終わると

自分探しは、自由を求めたり、本来の自分を思い出すためのステップとも捉えられるかもしれません。わたしもそう思っていました。逆に自分探しをすると、気づかないうちに枠にはめられていたりもしました。

自由と正反対ですね。
それが窮屈になり、こんな自分は違う!って、また探し始める。
そうすると、自由に見えた新たな道も結局枠が待ち構えている。


自分探しをせずに、今やることをこなしていると、知らないうちに違う場所に来ていることもあります。それが思いがけない小さなギフトになる時もあるもんです。

それでいいんじゃないかな。

自分探しが終わったわたしは、今、心が穏やかです。


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