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【凪〜nagi〜】第3話

登場人物
◆七生(なお)…小学校の新人女性教師
◆陵(りょう)…七生が勤める小学校の男性先輩教師

思いの詰まったもの

都会からこの離島への引越しで、陸地輸送とフェリー輸送の経由による手続きで大変な思いをしても、七生が、どうしても都会から離島に持ってきたかった自転車。

その自転車は、結婚の約束をしていた、かつての恋人、陵との思い出が
たくさん詰まったものだった。


陵も、小学校の先生だった。
七生が大学を卒業後、教員採用試験に合格し、初めての赴任先の小学校での
3期上の先輩だった。

陵は、どの子にも勉強が好きになってほしくて、授業がより楽しくなるようにいつも工夫していた。

陵は明るくて、スポーツマン。
他の先生たちが面倒に思って、やりたがらない事務仕事や書類の作成も
率先して引き受けるので、先生たちからも人望がある。

どの子にも同じように接し、いつも変わらない笑顔で話しかけてくるので
子どもたちからも人気がある。
一人ひとりの生徒の個性を尊重して、その子の良いところを伸ばそうと真剣に向き合ってくれるので、子どもの親からも信頼されている、そんな人だった。


ある時七生は、まだ慣れない新任教師の仕事に追われるあまり、運動する時間が取れないでいる日々を解消しようと、通勤手段をバスから自転車へと切り替えることを思いつく。

いざ自転車を購入しようとネットで、女性用 通勤 自転車 と検索しても、低床フレームやSSフレームがオススメ!や、コンフォートタイプとスポーツタイプから選択すると良い、などといった用語と画像で説明されるのでは、なかなかイメージをすることができずに、七生は困ってしまった。

その時に浮かんだのが、いつもスポーツタイプの自転車を颯爽と走らせながら通勤してくる、陵だった。

以前に七生は、次の授業で使うプリントを印刷しようとパソコンを操作するものの、なぜかプリンターとの接続がうまくいかず、慌てていたところ、たまたま横を通りかかった陵がそれに気づき、パソコンの設定を操作し直してくれて、無事に印刷ができたことがあり、その出来事以降、分からないことがあると、七生は陵に気軽に相談をするようになった。

その日の仕事を終えて、職員用の玄関から自転車が置いてある駐輪所に向かおうとしている陵に、七生は声をかけた。
そうして、どんな自転車が乗りやすいのかを相談したのが、二人の距離を近づけるきっかけになった。


実際に自転車を見ながら、選んだ方がいいからと、陵が懇意にしている自転車屋さんに、七生は一緒に連れて行ってもらえることになった。
二人が勤務する小学校の最寄駅から、1駅離れた駅の近くにある、その自転車屋さんの前で、次の休日の午前中に待ち合わせをした。


当日、待ち合わせ場所に少しだけ遅刻をして、愛用の自転車に乗って現れた陵は、髪はボサボサで、肌寒く感じる秋口だというのに汗だく。
明らかに寝坊したという様子だった。

陵は、遅刻したことを七生に何度も謝って、お詫びに美味しいランチを御馳走するからと言って申し訳なさそうにした。

陵が頭を下げて謝るたびに、寝癖の髪がピョコピョコ動くのを見て「ひよこの尻尾みたい!」と密かに想像して笑った七生を、陵は不思議そうな顔で見つめた。

謝ってくれているのに笑ってしまった理由を、七生は陵に伝えると、陵は寝癖の頭をかきながら照れくさそうにした。


二人で自転車屋さんの広い店内に入ると、陵は、女性用の自転車コーナーに七生を案内して、並んでいる自転車のそれぞれの特徴をまるで店員さんのように分かりやすく説明してくれた。

陵が七生が乗りやすい自転車として勧めてくれたのは、フレームの傾斜が強くついている形状をしているので、スカートでも跨ぎやすく乗り降りしやすく、小さめのホイールを使用していることで、脚力の弱い七生でも少ない力でスタート&ストップができて、坂道でも楽に登れるように変速ギアがついている、そんな優れものの自転車だった。

その自転車を実際に店の前の道路で試乗してみると、漕いだ感じが軽やかで、とても乗り心地が良く、何より本体に塗られた緑がかったブルーが爽やかで、塗料に入っている細かい粒のラメが日に当たると、キラキラと輝いて見えるので、七生はその可愛い自転車がすぐに気に入った。

その自転車を買う時に、顔なじみの店員さんに、陵が何やら冷やかされて、冗談を言っている姿を見て、七生は、学校にいる時も普段の時も変わらない陵の姿を、なんとなくいいなと思った。

七生の買ったばかりの自転車の初運転をしようと、自転車屋さんの向かいにある、銀杏並木が綺麗な大きな公園のサイクリングコースに、二人はやってきた。

自転車のペダルを踏み込み、少しひんやりとした秋の風を全身に受けながら、二人は自転車を漕ぎ出した。
サラサラとした美しい黒髪を揺らしながら、綺麗な周りの景色に溶け込むように、自分の隣で楽しげに自転車を走らせる七生の、生き生きとした姿に陵はいつしか目を奪われていた。

陵の目には、自転車を漕ぎながらも、時折目を細めて、木漏れ日の光を見上げる七生の長い睫毛に縁取られた優しい眼差しと、光を受け止める白く柔らかな頬が眩しく写っていた。


七生は、小学校の先生になってから慣れないことばかりで、緊張する日々の中、久しぶりに自然の中で心が解き放たれて、秋風に遊ぶ枯れ葉の音さえ心地良く聞こえる、穏やかな時を身体中で感じていた。

陵は、七生が買ったばかりの自転車を問題なく、すっかり乗りこなしているのを確認すると、公園の中にある、新鮮な有機野菜をふんだんに載せて仕上げる、手打ちの生パスタが売りの、レンガ作りで落ち着いた雰囲気のイタリアンレストランに連れて行ってくれた。

二人は、銀杏並木が見える窓側の席に落ち着き、七生はサーモンとほうれん草のクリームパスタを、彼は秋ナスと厚切りベーコンのペペロンチーノパスタを選び、お店で毎日手作りしているこだわりのドレッシングをかけて食べる、ここのお店の生野菜も最高だからシェアして食べようと陵は言って、サラダも注文した。

ヨーグルト、マヨネーズ、塩、胡椒を使ってニンニクを効かせ、たっぷりのパルミジャーノチーズが入った手作りのシーザードレッシングをかけて食べるサラダは、黄色や紫色の珍しい色をした小さな大根や、大ぶりに切ったロメインレタス、ルッコラ、ベビーリーフ、プチトマト、クルトンがどれもたっぷりと載っていて、二人でシェアしても十分に食べ応えのある量だった。

美味しい食事でお腹がいっぱいになって、食後のお茶をゆっくりと飲んでいる時に、何気なく窓の外を眺めた七生は、まるで子どもたちが追いかけっこをしているような、風に踊る黄色い落ち葉に目が止まった。

その時、小学校で受け持っている子どもたちとの距離感がうまく掴めない悩みを、ふと七生は思い出し、陵に相談した。

すると陵は、
「僕も最初は、子どもたちとどう接していいか分からなかったよ。一人の子と話し始めると、他の子も寄ってきて、みんなが話したいことを一様に話し始めるから、収集つかなくなることがよくあってね。とても困ったよ。」
と、当時を思い出しながら苦笑いした。

「でもね、僕はそんな風に、遠慮なく自分のことをまっすぐにぶつけてくる子どもたちの事をすごい!って思ったんだ。だって大人は、本当の気持ちを隠して話したりするけれど、子どもはいつだって自分の心に正直で、全力で毎日を生きている。たとえ気持ちをうまく言葉にできないことがあったとしても、泣いたり、怒ったりすることで、ここに生きているんだってことを主張している。そんな子どもたちを見ていて、ある日思ったんだ。距離感なんて、どうでもいいんじゃないかって。自分も本音で、子どもたちと接しようって思った。だから、教師になりたてで戸惑うこともあるけれど、それさえも隠さず、どんな自分も見せていこうって決めたんだ。」

「そう決めたら気持ちに余裕が出てきて、子どもたち一人一人をよく観れるようになったんだ。この子は絵を描くことが好きで、この子は話すことが好きで、この子は体を動かすことが好きなんだっていうのが、分かってくると、その子と自分との共通点を見つけられるようになったんだ。そうして見つけた共通点をきっかけに接すると、子どもたちの目がね、何ていうかすごく輝き出すんだよね。」

「夢中になって、自分が好きなことや興味のあることを夢中で話したり、表現している子どもたちを見ていると、僕も教えることが好きだっていうことをとにかく全力でやっていこうって思えるようになったんだ。」

七生は、子どもたちのことを優しい眼差しで語る彼の話を夢中で聞いていた。

== 【凪〜nagi〜】第4話に続く ==

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