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和歌山の橋本を流れる紀の川と橋本橋

 河内長野から見て山の反対側にある、和歌山県橋本駅周辺散策の第2弾。今回は駅から歩いて行ける紀の川(紀ノ川)の様子を紹介します。前回はこちら。

 さて、駅前から歩いていくと5分ほどで川の前に行きます。その途中で道標を見つけました。

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 大和街道と書いてあります。これは和歌山と大和を結ぶ街道。そして今から行く紀の川沿いに通じていた街道です。今回は行けませんでしたが、橋本駅の東側に流れる橋本川を越えると、河内長野から山を越えてきている高野街道と、この大和街道が合流する地点があるようですね。橋本はその気になればすぐに行けるので、また今度確認します。

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 このようなところに小さな社がありました。すぐ裏手は紀の川です。後で調べると御劔(みつるぎ)大明神とありました。詳細は調べてみましたがよくわかりません。神劔神社(みつるぎじんじゃ)と言うのが、中河内の東大阪市と八尾市にあるところまでは突き止めましたが、関連性なども不明のままです。

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 こうしてようやく紀の川に出ました。この川は奈良県と三重県の県境にある大台ヶ原を源流として、奈良県内を流れ、そこでは吉野川と呼ばれています。そして和歌山県内に入って、名称が紀の川になりました。

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 そして和歌山県の北部分を西の方に向かって雄大に流れます。この日は雨上がりのためか、結構川の流れが速かったですね。こうして紀の川は、大阪府との県境にある和泉山脈と、南の紀伊山地の間の谷間を縫うように流れていきます。 
 最終的には和歌山市中心部の北側を通って海に。ちなみに河内長野を流れる石川とは、山で遮断されているため全く接点がありません。

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 こちらの橋は、橋本橋という名前の橋です。「山本山」のように左右どちらかでも同じように読めますね。この橋は1585(天正13)年に最初に架けられました。
 ところでこの場所を橋本と呼んでいる由来が、この橋が架けられたからだとか。ちなみにこのときに架けたのが、この町を開き、発展のきっかけを作ったとされる、真言宗の僧侶、木食応其(もくじきおうご)です。

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 現在の橋は昭和53年に架けられました。最初の橋は水害で流出後、長く渡し船で対岸と往来していたそうで、昭和になっていよいよ橋が架けられたのです。

 橋本橋の工事概要を見つけましたので、参考までに引用しましょう。

工事概要
事業名称  国道三七一号線橋本橋橋梁整備事業
工事位置  橋本市一丁目橋本市向副地内
総事業費  九億一千万円
橋梁延長  二五六メートル
橋梁幅員  全幅員十一メートル 車道七メートル 歩道各二メートル
工事期間  着工 昭和四六年 月 竣工 昭和五三年八月
事業主体  和歌山県
工事担当  橋本土木事務所

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 さて遠くに見えるピンク色のは、南海高野線の鉄橋です。河内長野から山を越えて橋本まで来て、ここから九度山、高野山と鉄道が続いていくわけですね。

橋本橋

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