あの封筒を届けてくれた郵便やさん

昔、だれかに宛てて書いた手紙の、封筒のおもてに、大きく熊(テディベア、緑のリボンをしている)の絵を描いたことがあった。
母が「あー!」と言って、ここは相手の名前を書くところなの、と言われた。
母は、郵便やさんにごめんなさいって書くからね、と、すみっこに小さく住所と、郵便やさんにあてたごめんなさいの文章を書いた。
わたしも書いたのかな。不器用なくらいとがってない色鉛筆で。なんとなく思い出す。

その後いまに至るまで、何事もなく、(戻ってくることもなく、)それはきっとその手紙が無事に届いたということなのだろう。

つまり、あの封筒をみて、すみっこに申し訳なさそうに書かれた住所に宛てて届けてくれた郵便やさんがいたということなのだろう。

封筒をみた郵便やさんは、いったいどんなかおをしたのだろう。どういう気持ちで届けてくれたのだろう。よくあること、として処理してくれたのだろうか。それとも、おっちょこちょいなちびっこを想像して、困ったようにほほえんでくれたのだろうか。

これが戻ってきたら、この子はしょんぼりしちゃうかもな、とか思ってくれたのだろうか。わたしをしょんぼりさせないために、一肌脱いでくれたのだろうか。

いまもどこかで郵便やさんをしているのだろうか。元気で生きているだろうか。
きっとあなたのおかげでわたしは、手紙にトラウマを持つことなく過ごせているのだと思う。大げさだろうか。

顔も姿も知らない、なんならその当時は存在すら意識したこともなかった人に、いまこうして思いを馳せている。

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