(み)

ふっと沸き起こった小さな違和感を採集する人。 主に自分の研究のために書いており、 あ…

(み)

ふっと沸き起こった小さな違和感を採集する人。 主に自分の研究のために書いており、 あまり編集していないので、 伝わりにくい文章が大量発生していますが、 あしからず。

マガジン

  • つれづれ

  • 「名付ける」ということ

  • 「待つ」集め

    なんでもかんでも、「これも、“待つ” に関係あるかもしれない」 という心持ちで見つめてみる。 すると、今まで見えていなかった物語がそこに浮かんでくる。 待つは、物語なのだと思う。 新しい雨靴、お茶碗の底の絵柄、工事中の地面に書かれたしるしー 「待つ」という概念をあてはめた瞬間、 どんなものとも、じれったい関係を結ぶことができるのだ。 「待つ」からはじまる物語ひとつひとつに、 少しずつ続きを書き足しながら、 いろんなものとの間に深い関係を作ってしまおう。 ...という試みです。 ひとつだけ読んでなにかがわかるというよりは、 採集したものをあらためて眺めたときに、何かが府に落ちたりするといいなあ。

  • 「跡」の物語

    さら地を見て、そこにかつて存在した建物や生活に思いを馳せたり、古本に残された筆跡から、持ち主の面影を心に浮かべたりー 「跡」を見つめると、そこには ”だれかが居た”、”なにかが動いた” 物語が見えてくる。 様々な「跡」に着眼し、そこから物語を紡ぐことで、暮らしにころがっているものごとの思いがけない表情や生き様に出会いたい。 *ここにあるのは、とある研究プロジェクトの一環でつづったエッセイたちです。 *一見これって跡に関係あるの?と思うようなものや、なんのことやらよくわからない、といったものもありますが、その瞬間に「これは関係ありそう!」と感じたことを勢いで綴ろう、と心に決めているので、どうかおゆるしください。

最近の記事

「写ルンです」と「残しておきたい」について

いつからか、「写ルンです」を必ず持って暮らすようになった。 実際にシャッターを切ることはそんなにない。 大抵はスマホのカメラで撮っているし。 でも、ああいまこの瞬間…!と身体が先に動いた時に手に取るのは、スマホではなく「写ルンです」だ。 そういう、身体が先に動いた瞬間に写ルンですが手元にないと、取り返しのつかないような気持ちになる。 写ルンですの特性上、明るいところ、光が多いところでないとうまく写らない。 一台目は、暗くなってほとんど何も見えないような写真が多かっ

    • 人の体感に入り込む・うつる・引き出す

      「我」について考えていると、 どうしても「何かになりきっている自分」という感覚についてきちんと掘り下げる必要が出てくる。ので、考えてみた。 幼い頃から、なりきりごっこが大好きで、 特にディズニーの「眠れる森の美女」と、ジブリの「となりのトトロ」のセリフも表情も動きも、まるごとなりきって遊んでいた。 今でも大体(台詞は曖昧になってきたが)覚えていて、いつでもなりきりごっこを始めることができる。 本を読んだり、ドラマを観ている時、あるいは観たあと、 その中に出てくる登場人

      • あの封筒を届けてくれた郵便やさん

        昔、だれかに宛てて書いた手紙の、封筒のおもてに、大きく熊(テディベア、緑のリボンをしている)の絵を描いたことがあった。 母が「あー!」と言って、ここは相手の名前を書くところなの、と言われた。 母は、郵便やさんにごめんなさいって書くからね、と、すみっこに小さく住所と、郵便やさんにあてたごめんなさいの文章を書いた。 わたしも書いたのかな。不器用なくらいとがってない色鉛筆で。なんとなく思い出す。 その後いまに至るまで、何事もなく、(戻ってくることもなく、)それはきっとその手紙が無

        • なんとなく居心地のわるい帰り道

          私は、幼い時分から、楽しかったところから帰ることがとてもとても苦手だった。 鮮明に憶えているのは、夏に軽井沢に五日間ほど家族で遊びに行った時のことである。 帰りの車の中、東京へ近づくにつれてぐわ~んと熱せられる感覚。涼しい軽井沢との温度差で、よく気持ち悪くなったりした。(そもそも車酔いしやすい子どもではあったが。) でも、気持ち悪くなったのはそのせいだけじゃない。 とても感傷的になっているのだ。 ああ、一週間前あんなにも心待ちにしていた軽井沢。 何しようかな~とう

        「写ルンです」と「残しておきたい」について

        マガジン

        • つれづれ
          2本
        • 「名付ける」ということ
          1本
        • 「待つ」集め
          38本
        • 「跡」の物語
          59本

        記事

          暗くなっていることに気づかない

          夕方、研究室の扉を開けた。日が暮れかけた暗がりに、後輩がふたり、静かにいた。 なんでこんな暗いところで作業してるの(笑)と話しかけると、ふたりとも、えっ?という顔。 ああ、気づかなかったんだ。日が暮れたことに。 ずっと作業に没頭していたんだな。そして今も、黙々とデータに向き合い続けている。 彼らは全然話さなくて、とても静かだけど、没頭するほど真摯に研究に向き合っていることは、しっかり伝わっているよ。

          暗くなっていることに気づかない

          サントラ

          わたしは、サントラが好きだ。ミュージカルの音楽、映画の音楽、バレエの音楽、ドラマの音楽。好きな音楽は?好きなアーティストは?と聞かれていつもこたえに困るのは、そのせいだ。 物語と音楽が、お互いに跡をつけあって、心の揺れを増幅する。 物語には音楽が染みつき、音楽には物語や役者の表情まで染みついている。

          サントラ

          毛玉

          この秋買った新しいズボンに、毛玉を見つけた。何がこすれたんだろう?腰のあたりだから、かばんかな?無意識だった。 毛玉ってみっともないからすごく嫌なんだけど、ちょっと立ちどまって考えてみると、案外嫌いじゃないかもしれない。 洋服は変わっていくんだ。洋服は、わたしと一緒に生活していて、わたしと一緒に変化していくんだ。毛玉は、わたしの人生のかけらだ。

          寝起き

          朝起きて、あーあ。顔周りが疲れてる。頭も痛い。あーあ。なんなら首まで痛い。はーーー。寝ている間に、すごく歯を食いしばっているらしいのだ。 小さい頃に、歯医者さんに行ったら、「歯ぎしりしてるでしょ」って言われたから、「自分では寝てるだけなのでわかりません」って言ったら、じゃあ証拠を見せてあげようって。鏡で、上下の歯を少しずれたところで噛み合わせた。斜めのラインが上下ぴったり一致した。「ね、ここでぎしぎししてるから、歯がお互いに削れて、平になってるの。」知らぬうちに、歯を削るほど

          交換日記

          あ、K(共同研究者)の記述が増えてる。 会っていない時間も、わたしと彼女の人生はそれぞれに動いているんだな、と当たり前のことを実感する。 交換日記に似ているかもしれない。 小学生の頃、しょっちゅう交換日記をしてた。交換だから、わたしが書いている間は相手のお友達は待っていて、お友達が書いている間はわたしが待っている。わたしが過ごした”今日”は、あの子にとってはどんな”今日”だったのだろう。というのを、わたしは”明日”知る。それをずっと繰り返す。 そんなことを知って、どうしたいの

          交換日記

          牛乳の膜

          わたしは、そのままのコーヒーより、カフェオレをよく飲む。甘いほうが好きだから。 でも、牛乳の膜がはるのは好きになれない。昔から、なんか気持ち悪くて苦手だ。 だから、カフェオレが出来上がったら、定期的に、あまり間をあけずに口をつけるようにする。牛乳に、膜をはる余地を与えないように。 その1杯の間、わたしはカフェオレと一対一できちんと向き合う。 でもたまに、だれかとカフェでおしゃべりしながら飲んでいると、おしゃべりに夢中で、はっと気づいたときには膜ができている。 いやいや、こりゃ

          牛乳の膜

          ため息

          ため息は、いっぱい吸った跡。 疲れたときのため息は、そこまでずっと気を張ってがんばってたから。ずっと吸ってたから。 いつの間に、そんなに吸っていたのだろうか。 ヨガをはじめてから、本当はもっと息を吐けるのだと知った。息の居場所をつくるためには、まずしっかり吐き切ることが大切だ。 力いっぱいがんばる前に、一度吐いてみよう。

          追跡されるのはこわい

          より精緻な広告戦略を!とか、言う。それで、web上での行動を追って、より詳細にターゲティングできますよ!とか、言う。 すごくすごく便利だけど、ぞっとする。 わたしがどこで何を検索して、どんなふうに寄り道して、いつ何を買ったのか。それが全部ばればれなのだ。 自分の跡がばれるのは、こわいな、と思う。 自分が考えていることも、何気なくした寄り道も、全部見透かされているような気がして。 跡は雄弁だ。たぶん、わたしがその人に直接話すよりもずっと。だって、話すときは、話したいことを話

          追跡されるのはこわい

          忘れたいのに

          忘れたい思い出、なかったことにしたい思い出は、ある。そして、そんな思い出を抱えている自分が、あまり好きではない。なかったことにしたいなんて、かっこ悪いから。 普段はすっかり忘れたつもりでいるのに、その場所に行ったり、似たような音とか、匂いとか、そういうものに意図せず触れてしまったとき、わたしの五感はいやな思い出へとわたしを突き出す。 身体に染み込んだ跡は、消せない。頭で消そうとしても、五感はしぶとい。しぶといというか、ばかみたいに素直すぎるのだ。 本当は、そういう思い出も、

          忘れたいのに

          伝記

          小学生の頃、伝記(まんが)にはまっていた時期があった。ベートーベンの伝記を読んで、作曲家になりたい!と夢が増えたことを覚えている。 そして、わたしも伝記にのりたいなーなんて無邪気に考えていた。だって、かっこいいんだもん。 でも、自分が伝記にのりたいと思っているだけではだめで、自分の死後、だれかがわたしの生きた跡を後世に残したい・伝えたい、こいつは後世に語り継ぐべき人物だ、と強く思ってくれないといけない。 跡を残したいと思ってもらえるなんて、すごいよなあ。そうなれるように生きよ

          中学生のときに歌った合唱曲

           「カントリーロード」が好きだ。わりと昔から。でも、昔は歌詞の意味がよくわからなかった。  中学に入って、初めての合唱祭で歌った曲。最後のほう、なんで「帰りたい。帰れない。」なんだろう、どうして帰れないの?と不思議でたまらなかった。意味わかんないな〜と思っていた。  でもこの前、ちょうど当時から10年経って、ふとこの曲を聴いたとき、うわ、と思った。言葉にならない複雑な感情を、わたしはいつの間にか覚えていたのだ。大人になるのって、いいなあ。これが大人になることなら、わたしは大人

          中学生のときに歌った合唱曲

          さら地

          見慣れた街の一角が、ある日さら地になっていた。 毎日通っていたのに、もともとそこに何があったのか、そしてどういう工事を経てさら地になったのか、全く思い出せない。見ているようで、見ていなかったのだ。 でも、”かつてはさら地じゃなかった”ことはわかる。 おかしい。