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映画「ディオールと私」感想

東京都現代美術館で開催されている「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」展へ。

行く前に、映画「ディオールと私」を観た。
日本では2015年に公開された映画らしい。

あらすじ
2012年、オートクチュール未経験のラフ・シモンズが、ディオールのクリエイティブディレクターに就任し、パリ・コレクションでオートクチュールデザイナーとしてデビューするまでを追いかけたドキュメンタリー映画。
わずか8週間の準備期間の中、マスコミからの注目、ブランドの創業者クリスチャン・ディオールの影を背負いながらショーに向けて心血を注ぐシモンズと、お針子ほかスタッフたちの緊張感溢れるアトリエの様子が収められる。オートクチュールを支える多くの人々が、献身的に仕事に取り組む姿がここにある。

ラフ・シモンズ
ディオールに就任する前はジルサンダーの男性服のデザインをしていたベルギー出身のデザイナーである。細身のブラックスーツのリバイバルブームの火付け役であった。
ミニマリストと評されていた彼が、正反対にも思える華やかで女性らしいディオールのオートクチュールで伝統を継承しながらどのように自分の個性を表現するのか、世界中の注目を集めたことは想像に難くない。

ディオールの全面協力によって、カメラが初めて本社のアトリエに入る。クリスチャン・ディオール氏本人の映像と回想録からの言葉を交えながら物語は進行していく。

ディオール初日、全スタッフが集まる中シモンズは挨拶をする。ともに移籍してきたピーターも紹介される。
クリスチャン・ディオールの伝統を支えているのは、胸にDiorの刺繍を施した白衣をまとう約100人のお針子たち。皆、新参者に興味津々だ。シモンズはフランス語を流暢に話せない。挨拶も途中で英語に切り替える。その後自らアトリエに出向き、スタッフ一人一人の紹介を受ける。

クリスチャン・ディオール
1905年、フランス北西部ノルマンディー地方グランヴィルで生まれる。父親は肥料の生産事業を行う裕福な家庭であった。小石を埋め込んで仕上げたピンクとグレーの外壁の美しい家や手入れされた庭はクリスチャンの原点。ピンクとグレーはやがてディオールのファッションメゾンを象徴する重要な位置づけとなる。クリスチャンは当初建築家を志しており、装飾芸術を勉強した。

フレデリック・チェン監督のインタビュー
初めてラフ・シモンズに会った時、彼のあまりに寡黙な態度に驚いた。ラフ・シモンズはディオールで開く最初のコレクションで、世間がどの程度自分に注目するのかをかなり心配していた。私は彼の繊細さを映画の中心に据えようと考えた。

ラフ・シモンズとクリスチャン・ディオールの共通点
ディオールは、1956年の回想録の中でメディアにさらされることで生じる疎外感について次のように詳細に説明している。「二人のクリスチャン・ディオールが存在する。世間の注目を集めるクリスチャン・ディオールと私生活を大切にするクリスチャン・ディオールだ。両者の溝は広くなるばかりで決して交わることはない」
ラフ・シモンズはディオールの化身。ディオール同様シモンズもかたくなに私生活を守り、また、芸術家としての経歴を持っている。

歴史ある社屋のアトリエ
ディオールが健在した当時から続く空間であり、オートクチュール作りに身を捧げる職人たちの居場所である。
プレタポルテと違い、決まった型紙に沿って切り出して作るわけではなく、ひとつひとつ独自に切り出し、パーツを作り、それらをつなぎ合わせることで一つの服になる。職人たちの中には長い人で40年以上働いている人もいる。ディオールが生前コレクション作りについて述べているのと全く同じ光景が今も広がっている。お針子たちがいて、緊迫した空気感もそのままディオールの技術が脈々と受け継がれている。スタッフたちは今でもアトリエではディオール氏の気配を感じると噂する。

ピーター
シモンズのデザイン画を手に、実際に製作が始まるが、寡黙なシモンズは、スタッフとのコミュニケーションがスムーズにいかない。そこで活躍するのがシモンズの右腕として10年仕事を共にしてきたピーターだ。言葉足らずな彼をフォローし、スタッフに花を贈るなどピリピリしたアトリエの雰囲気を和ませる。シモンズの名で贈るが、スタッフにはピーターの仕業だとバレバレだ。

準備期間
シモンズは最初のフィッティングの日にドレスが一着も出来上がっていないことに我慢ならなかった。しかもその日、ドレス部門の職長が何の断りもなくニューヨークに行き不在だったため、唖然としてしまう。客のオーダーによって利益を得るオートクチュールでは、大口の顧客(毎シーズン5000万円の注文をしてくれる得意先)が何より大切にされる。職長は、お客の注文とショーのコレクションづくりで板挟みになっていた。

シモンズは美術館で目にした現代アーティスト、スターリング・ルビーの作品を生地にしようと試みる。色が多すぎて再現が難しいと断られるが、シモンズは諦めない。テストする時間の猶予もなかったが何とかイメージ通りの生地が出来上がる。

ショーに使用する邸宅を見つけたが、壁の傷みが気になった。改装するには費用が掛かりすぎる。シモンズはディオール氏の原点である花にあふれたピンクとグレーの邸宅にヒントを得て、壁を生花で埋めることを思いつく。

最終段階に入るとアトリエはいよいよ大忙し。シモンズの豊かなビジョンを手作業で形にしていく職人たちの技巧は圧巻である。実際のモデルに着せて歩かせて微調整を行っていく。翌日までにゼロから作り直さなければならないドレスもあった。すべてが手作業で行われるアトリエでは、ビーズ刺繍も数人の職人たちが協力してほぼ徹夜の作業となる。

プレミアショー当日 
シモンズは、スタッフたちに手書きで感謝のメッセージを用意していた。不器用だが優しい人柄なのだ。人前に出るのがあまり得意ではなかったが、マスコミへの宣伝も大切なのでショーの終わりにモデルたちの後に出て行くことは承諾した。ショーの時間が迫り、職人たちもショーを見守りに向かった。
職人の一人は、この大変な仕事がショーで終わってしまうのを寂しく感じていた。作り上げた服は子供と同じで、ショーに出て行くのは自分の手を離れるのと同じだからと。
招待客やマスコミは、生花で覆われた壁と香りに驚かされる。

ショーは、スーツ部門から始まり、華やかなドレス部門へ展開されていく。ディオールの伝統と技術はシモンズを通して確かに受け継がれていく。2012年秋冬オートクチュールコレクションに発表されたのは、全部で54体。シモンズの初めてのオートクチュールのショーは大成功をおさめた。

その後
映画は2014年に公開されたが、ラフ・シモンズは2015年10月に突如ディオールのアーティスティック・ディレクターをを辞任する。自身のブランドにフォーカスすること、そしてファッション業界以外の新しい業界におけるアプローチとその理由を語った。
2016年、ラフ・シモンズの後任としてマリア・グラツィア・キウリが新クリエイティブ・ディレクターに迎えられ現在に至る。「Dior」の長い歴史の中で、女性がクリエイティブ・ディレクターに抜擢されるのは初である。

感想


シモンズがドレスの到着を今か今かと待ち受ける中、古いアトリエのエレベーターが故障で止まってしまうシーン。しかしドレスを手に閉じ込められたスタッフは明るく笑って慌てない。決められた期限もことごとく守られないし、この映画を通して、ディオールの世界だけでなく大らかでルーズなフランス人の本質が垣間見えた。
あと、このショーの後、皆長いバカンス期間に入るんじゃないかなあ。一定期間集中して仕事をしたら、しばらく休暇を設けた方が仕事の効率が上がるのではないだろうか。決められた時間社内に留まることに意味があるとは思えない。バカンス文化がうらやましい。

ショーのモデルは今の時代、ロボットでよいのではないかと思った。
観客は、服を見に来ている。服を見せるのに、モデルの個性は必要ない。同じ身長、同じ体形、同じ速度と歩き方のほうが統率が取れて良いのではないか。しかし、初めてランウェイを歩く若いモデル"エステル"の存在がそれを否定した。感情を意識させないモデルの中で、初々しい彼女は可憐で華があって人目を引いた。
近い未来、ロボットに服を着せてランウェイを歩かせる時代が来るかもしれない。でもあくまでファッションを必要としているのは人間で、代謝機能のないロボットは着替えの必要がない。同じ服を着ても人によって見え方が異なるから面白いのだ。個性が服の味を引き出すから。

クリエイターの凄さに圧倒された。ゼロから何かを生み出す人のエネルギーとは、何かを表現したい思いに突き動かされるってどんな感覚なのだろう。
ラフ・シモンズは、以前のインタビューで、ファッションをクリエーティブな考えやアイデアを表現するための"美しい手段"だと位置づけてていると言った。クリエイターが大事にしなくてはならないのは、表層的なアプローチではなく、自分が信じるものを具現化することだと。ファッションは常にポジティブであるべき。服を見せたいんじゃない。僕の姿勢、僕の過去、現在、未来を見せたい。過去の記憶と未来のヴィジョンを現在の世界の中で表現したい
また、インプット作業の大切さも知る。シモンズは忙しい中でも常にアートに触れることを忘れない。

横文字文化
ところで、ファッション界は横文字のオンパレードなわけだ。

IT業界では顕著に見られる横文字の羅列
エビデンスを取る
プロジェクトにアサインする
このイシューをソリューション
ミニマムなスタンス
グローバルなイノベーション
…などなど。

日本語のほうが簡潔な場合もあるのに無駄に使用するから鼻白らまれるが、ファッション界は。

ニットにトレーナーにスカート、パンツ。

和服よりも洋服が蔓延する世の中においてカタカナ語はすっかり定着している。時折、ズボンのパンツ?それとも下着のパンツ?と紛らわしいこともあるが、語尾の”ツ”を上げ気味に言うか下げていうかで、使い分けられている気がする。それはそれでイラっとするがまあ許容範囲。

しかし、クチュリエである。
「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」展の「クチュリエ」って。何だ。

まずは、パリ・コレクションとは
なんとなーく聞いたことある、通称パリコレ。
パリのファッション・デザイナーがシーズンに先駆けて作品を発表するショーのことで、オートクチュール (高級注文服) とプレタボルテ(高級既製服) の2部門があり,それぞれ1月と7月、4月と 10月に開催。モードを国の文化としてとらえているフランスのコレクションだけに伝統も古く、毎年世界のファッション・トレンドに大きな影響を与えているが、オートクチュールはパリでのみ行われる。

で、オートクチュール(haute couture)とは
「オーダーメイドの一点もの」「特注の仕立て服」「オート(haute)」というのは「高級な」、「クチュール(couture)」というのは「仕立て・縫製」の意。 パリコレのオートクチュールとして認められるには、パリ・クチュール組合という組合によって加盟を許されたメゾンのみが、オートクチュールを名乗ることがきる。 オートクチュール組合は1868年に設立。

プレタポルテ(prêt à porter)とは、型紙を元に作られる大量生産品のことだが、あくまで"高級な"既製服のことらしい。プレタポルテのコレクションは世界各地で行われる。

で、やっとクチュリエ(couturier)だ。
服飾デザイナー。特に、パリのオートクチュール組合に加盟する高級服飾店の主任デザイナーの総称として用いることが多い。正確には男性名称で、女性デザイナーはクチュリエール(couturière)というらしい。

クチュリエ、つまり、英語に訳すとデザイナーだが、そもそもフランスにしか存在しないオートクチュールは、日本語でうまく表現しようがないのだった。

 
 

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