『ラストディール 美術商と名前を失くした肖像』感想

初めて見るフィンランド映画感想

■あらすじ(ネタバレ含む)

主人公の老いぼれ美術商オラヴィは、オークションの下見で一枚の男性肖像画に心奪われる。署名はないが作風から有名画家レーピンが描いたものではないかと調べ始める中、疎遠だったひとり娘のレアに、店で孫オットーのインターンシップをさせてもらえないかと頼まれる。
乗り気じゃないオラヴィだったが、店番を任せたら値札よりも高く絵画を売るオットーに商売人としての素質を見出し、美術館を訪ね本物の絵画を見抜く目を伝授する。
肖像画の裏に貼られた「garden」と書かれた切れ端から、以前この肖像画が美術館に展示されていたことをつきとめる。そのパンフレットには肝心の絵が載っていなかったが、大きさから「キリスト」といいタイトルなのでないかと検討をつける。
オットーが「キリスト」の元所有者を訪ねると、すでに亡くなっていることが判明する。対応してくれた親戚に咄嗟に自分の名付け親なのだと偽って部屋の中に入れてもらい、そこでとうとうレーピンが描いたことが記された「キリスト」の画像が載った書物を発見する。
 
オークション当日。肖像画は予想以上に競り合い、値段も釣り上がる。オラヴィはここで無理しても、レーピンの絵画を探している得意先の富豪に証拠を添えて高値で売りつければよいと1万ユーロで落札する。
 
手元に資金のないオラヴィは金策に走るが、銀行に貸し付けてもらえず、所有品を売っても追いつかない。レアにも生活が苦しいと借金を断られるが、オットーの貯金癖に目を付けたラヴィは、オットーの口座から足りない分を引き出させる。やっと「キリスト」を手にするオラヴィ。オットーに記念撮影をしてもらい浮かれる。
 
富豪に12万ユーロで売ろうとするが、はじめは購入に意欲的だったのにその後断られる。不思議に思ったオラヴィがオークション主催者に詰め寄ると、彼は富豪に落札額を教え贋作には気をつけろとアドバイスしていたのだった。
窮地に陥るオラヴィ。レアにもオットーの進学資金を引き出したことを責められ、店を畳んで得たお金で返済するが、絶縁宣言されてしまう。
 
オットーにすすめられ以前メールで問い合わせていた「キリスト」を展示していた美術館から連絡が入り、なぜレーピンは肖像画にサインしなかったのか、おそらく「聖画」として描かれたためではないかと判る。
 
その後機嫌よく部屋の片づけをしている最中、オラヴィは亡くなる。

遺品整理をしていたレアの元に、オークション主催者の男が現れ、肖像画を落札額で引き取ってやってもいいと言う。オラヴィの手に渡った後、彼自身の調査でも肖像画がレーピン作の本物であったことが判明していたのだ。寸でのところでオラヴィの美術商仲間が訪れて止め、オットーも現れ「キリスト」の価値はわかっていると証言する。
 
肖像画「キリスト」の背面には、オラヴィの遺言状が隠されており、ひとり娘レアを支えてこなかった悔いと、「キリスト」はオットーに譲るとの言葉が遺されていた。
 
 

▼「モイ!」

途中、セリフの中に「モイ!」という言葉が出てきて、ツイキャスに親しんでいた数年前を懐かしく思い出した。
「モイ」というのはフィンランド語で『やあ!』という意味。ツイキャス内でのあいさつの言葉だった。インスタライブが主流になる前は、気軽にライブを楽しむといえばツイキャスだった。
 

▼北欧独特の空気感


北欧諸国といえば、税金は高いが福祉が充実し医療費は無料、経済は概ね堅調で、しかも労働時間が短く、政府は民主的で腐敗が少ない。冬は殆ど日照時間が無いから、室内で家族と快適に過ごすため様々な工夫やアイデアを駆使しシンプルでオシャレな生活をしているイメージだ。世界幸福度レポートでも北欧諸国が上位を占める。

パラダイスかと思いきやその生活ぶりは決して豊かには見えない。目にするたいていの住居は狭く、アメリカ映画に出てくるようなようにバカでかい屋敷に住んでいるわけでない。リビングやキッチンがだだっ広いわけでもない。

美術商を職業としているだけあってオラヴィは重厚なアンティーク家具に囲まれて暮らしている。しかし一人住まいには似合わない大きなダイニングテーブルは持て余し気味だ。一方、レアとオットーの暮らす家はコンパクトで、レアが自宅で仕事をしている机がダイニングテーブルとしても使われていたり無駄なく工夫して生活をしていることがうかがえる。

▼娘レアとオラヴィの確執


フィンランドは小学校から大学院まで学費は無料である。だからレアがオットーの進学資金を必死に貯めているという設定はちょっと疑問に思った。なぜそんなにお金を貯める必要があるのか。

レアはお金で苦労している母親をずっと目にして育ったのかもしれない。息子には決して苦労をさせたくなかったとしたら頷ける。レアの頑なな態度からは、オラヴィがまったく家族を顧みて過ごしてこなかったことが伝わってくる。
そんな娘の頼みを冷たく撥ねつけるオラヴィ爺は、頑固で利己的に思える。本当はレアだってこんなクソ親父にお願いなんかしたくなかったはずだ。安く手に入れた品を定価で学友に売りつけたことが問題となり学校側に注意を受けていたオットーは、ほかの職場のインターンに参加することができなかったのだ。

しかしオラヴィはレアが小さいころ大好きだったという絵画をずっと手元に残していたことから、その絵はオラヴィにとっても娘との大切な思い出の品だったことがわかる。

▼オラヴィ爺と孫オットー


請求書類も旧式なタイプライターでポチポチ打って作成するし、ペーパーレスとは程遠く、時代に取り残された感が否めないオラヴィだが、商品の価値を見抜く目は捨てたものではなかった。美術の価値だけは肉眼でしか判断できないのだ。

オラヴィの審美眼で見つけた「キリスト」の作者探しは、現代っ子らしくネットを駆使して調査するオットーという仲間を得てはじめて解決に近づく。そして最後にはオットーが実際に赴かなければ確たる証拠は得られなかった。インターネットと対面の合わせ技での勝利である

オラヴィは、インターンシップの評価でオットーに満点の評価を付ける。レアに絶縁宣言されてしまったオラヴィの元へは、最高評価以上を付けられたオットーからの葉書が届く。

馴染みのパン屋でいつもパンを一つだけ買い、広いダイニングテーブルの片隅で寂しく食事をしていたオラヴィが、同じパン屋でパンを2つ購入してオットーと食事するシーンは印象的だった。

疎遠だった時間は長かったけど、爺ちゃんとの素敵な思い出と名画「キリスト」が残されて良かった。

▼孤独で憐れなオラヴィ爺


レアがせっかく関係を修復しようとオットーと暮らす質素な家に食事に招待してくれたのに、オラヴィは実は背に腹は代えられず娘に借金を頼みに来ているというこちらまで心苦しくなるシーン、また購入するはずの富豪がなかなか絵を取りに来ないからといって、富豪の滞在する高級施設まで絵を届けにくるオラヴィの惨めな姿は見ていて苦しくなる。売買の妨害をしたオークション主催者に詰め寄るシーンも憐れだった。

ただ亡くなるシーンはあくまで見せないのだ。オラヴィの死を何と音だけで表現する。オラヴィが改心した後では憐憫を誘わない

▼もしも売買が成立していたら


オークションの親父が邪魔することなく、売買が成立していたら、ハッピーエンドだったろうか。
いや、爺さん強欲が頭を擡げて、これをラストディールにせず、さらにもう一勝負に出て大失敗していたかもしれない。

死が訪れる前に自分の過ちに気付いていたことに、涙が溢れてきた。

生きて、レアと和解したところを見たかった。

家族のきずなを改めて考えさせられる映画。
北欧フィンランドの生活や空気が伝わる映画。

必見である。