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夫婦の会話が少なくても安心していられる理由

我が家は2〜10歳の4人の子どもたちがいる6人家族です。
夫は朝早くに出勤、だいたいいつも深夜に帰宅。休みの日は子どもたちとわちゃわちゃ過ごし、みんなで就寝という生活で、夫婦ふたりで過ごす時間はほとんどありません。

なので、わたしたち夫婦は、日常的にかなり会話が少ない夫婦なのだろうと思います。
以前は、日々たくさん会話し何でも話し合える関係性にならなければいけないと思っていました。でも今は、必ずしもそうでなくてもいいと思っています。わたしたちなりの夫婦の形があるよね、と。
そう思えるようになったのはなぜなのか振り返ってみました。


数年前お互いの心の距離が離れてしまい、世間話のような会話すらどうしたらいいのかわからなくなって、苦しい時期もありました。
その時は、わたしがわたし自身のことをわかっていないのに、夫にはわたしをわかってほしい!と思っていました。
わたしがわたしを受け入れていないのに、夫にはわたしのすべてを受け入れてほしい!と思っていました。
そして、わかってくれない受け入れてくれない、と嘆いていたのです。でも、わたしをわかってくれない、受け入れてくれないのは、他でもない自分自身でした。
夫に求めるのではなく、自分で自分を理解し受け入れていったことで、夫との関係もよくなっていったように思います。


そういう時期も経て、2022年に4番目三女が生まれ、わたしは子どもたちと寝落ちの日々&夫は多忙続きで、夫婦ふたりの時間は増えていませんが、不安は感じていません。
ここぞという時に、ちょうどいいタイミングで、ちょうどよく話せればいい。
そう在れるという安心感があります。

いつも言葉で伝えられたらわかりやすいかもしれない。
でも言葉になっていなくても、日々の何気ない行動の端々に相手の考えや愛情が表れていて、それをお互いにキャッチしている。
だから、会話自体が少なくても、コミュニケーションは日々とっているのだと感じています。
それは、足りないところにだけ目を向けるのではなく、今あるもの、すでにあるものに目を向けられるようになったということなのだとも思います。

そして⁡今は、わたしがわたしのことを一番にわかっていればそれでいいので、夫にわたしのすべてを知って受け入れてほしいとは思わなくなりました。
「受け入れてほしい」という気持ちではなく、「相手を知りたい」という気持ちでいます。
なので、たまに夫とじっくり話すと、そんなふうに考えていたんだ!と発見があったりして新鮮でおもしろいです。


誰かのパートナーシップの形に当てはめるのではなく、「わたしたちの形でいいんだ」と思えていること。そのことに心地よさを感じています。

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