2024.4.15日記

混んでるなぁ電車。

この前見たサンデーモーニングの風を読むのコーナーで、新社会人の働き方が特集されてて、コメンテーターの松原さんが「もちろんブラック企業とかは論外だけど、思い切り仕事に打ち込む時期ってのは、人生の中であってもいいと思う。若い方々には、思い切り打ち込める仕事を見つけて欲しいと願う」と言っていた。自分にとって本気で打ち込める仕事とはなんだろう。人生で一番働いた時期は、新卒で入った会社の2年目くらいの時で、毎日深夜まで働いていた。でもその当時は、仕事が好きだからというよりは、(好きな部分もあったが)半分は修行、もう半分は仕事で結果を出すことが自己実現の手段であった。

今の仕事は好きなことをやっているが、本気で打ち込んでいるのかというとどうだろうか。仕事よりも、あるいは仕事と同じくらいに趣味や家庭での時間も大事に思っているので、仕事に全振りというのはできなくなっている。とはいえ幸い(?)仕事も趣味も〈演劇〉という大きな枠の中では同じでもあるので、どちらも頑張ればどちらにも利になるのではないかと信じてやっている。

「人生やりたいことをやるには短すぎる」

と今日記を書きながら思ったが、

セネカは『生の短さについて』で、

「人生は、それを浪費する者にとっては短いが、やるべきことがわかっている者にとっては十分長い」

的なことを言ってたことを思い出した。やるべきこととは何か。自分に与えられた使命とは何か。人生短いなーって思うってことは、人生を浪費してるのかな。でも人生一回ではわからんよね。人生二周目とかあったらいいのにね。二周目は無理だったら、お試し期間とかあればいいのにね。人生のお試し期間、二週間とかだけやってみて、返品交換できたらいいのにね。でもそれができたらリア王も「人間は泣きながらこの世に生まれてくる。阿呆ばかりの世に生まれたことを悲しんでな。」とか言わんやろし、ファウストも「時よ止まれ、汝は美しい」とか言わんだろうな。結局人生が一回だから、あらゆる名作が生まれているのだろうな。