2024.4.11日記

人生色んな「期」があって、やる気ない期、勉強したい期、創作活動燃えてる期、インプットしまくりたい期、成長期、虚無期、など自分なりの期を周期的に経験しつつ生活している。最近はやや創作活動に対しては倦怠期、人間関係充満期なのかもしれない。

今の部署にいると会社を回してるのはコミュニケーションなんだなと実感する。それはコミュニケーションが大事っていう意味ではなくて、マジで、社交性高い者たちが会社を、ひいては社会を回してるんだなと。コミュ力こそ、パワー(権力)だ、という現実。

そのど真ん中に自分はいたくないなと、思う。多分耐えられないし。前の部署は資料の部署だったので、モノと向き合っていた。モノについて調べ、モノが語る言葉を人間の言葉に翻訳して提示する。大袈裟だけど、展示とかはそんな感じの仕事だった気がした。今は向き合うのは「人」って感じ。人の言葉を人は意外と理解できない。人と人のコミュニケーションは、同じ言語間であっても障害に満ちている。人と人とは完全に理解し合えないというような大それたことというよりも、今目の前の人が喋ってること、これはどう言った意図で発している言葉だろうか、笑いながら言ってるけどこの人結構怒ってるなとか、この人仕事の話と見せかけて愚痴言いたいだけなんだなとか、そういう言葉の裏にある意図を読まねばならない。

会社のPRでも同じであって、伝えている内容の裏には、なぜそれを伝えるのかという意図がある。ブランド力を高めたい、とか、時勢にあった対応をきちんとしてることをアピールしたい、とか、突っ込まれる前に先手を打ちたいとか、色々ある。一番嫌なのは「自分はそう思わないが偉い人がそうしろと言ったから」出す情報というもので、これはやってて辛い。辛いしダサい。しかしそういうことも多いんだと思う。そう思わないことはそう思わないと、言える大人になっていきたい。