2024.4.25日記

今の若い人は“推し”が自分のアイデンティティとなっていると聞くが本当なのだろうか。誰を“推し”ているのか、“推し”に自分の人生のどれだけの時間を使ったか、“推し”にどれだけのお金を使ったか、“推し”をどれだけ愛しているか…!“推し”を否定されることは己を否定されることで、“推し”が炎上すれば己の世界は終わる。『推し燃ゆ』の世界。

自分が就活生の時くらいは、まだアイデンティティは自分の側にあったように思う。『何者』が流行った頃で、自分がいかに何者かになる、何者かであることを証明したかった。誰もが知っている大企業に入ることは、自分の人生を安定させるためというよりもむしろ、自分がいかに優秀であるか、必要とされる人間であるかを見せつけるためにあった。

しかし今はそういう熱気はあまり感じない。仕事は仕事。どれだけ大企業だろうと労働者階級には変わりないし、いつ転職するかわからない。やりがいなんかよりも定時に帰れることの方が重要。そんなことよりも18時に家に帰って趣味の時間を満喫する。土日は全国どこへでも駆けつけて“推し”を応援。仕事はまじで生きていく金と“推し”活の費用のためだけ。

それでいいのか!若者よ!
仕事を楽しめよ!
おい!

いや、正直どっちでもいいんだけど。
落とし所がないので怒ってみた。

また明日!