ぼくはドストエフスキーがよめる

本が好きなのに翻訳小説が全く読めない。

文字を目でたどることはできても、頭の中に雑音が入ってくる。
(そもそも本のおもしろさって、ストーリーよりも、書いた人、本人の、それぞれ違う表現のしかた、言葉選びだ。どこで改行するか、会話文のあとに句読点はつけるのかとかでさえ違う、そこがおもしろいのに、作者ではなく翻訳した人のセンスが混入しているよ・・・それより日本文学で名作、おさえておくべき本、たくさん残ってるよ)
ええい!雑音うっせー!邪魔するでない。

それがkindleで無料の古典文学をダウンロードするようになると、あれ、意外と読める!
ドストエフスキー。「罪と罰」。あまりに定番で、いつか読めたらな、と思いつつ年をとってしまった。

読んでると、ロシア人の名前が覚えられず、確認のために戻ることがある。読解力や記憶力がないわけじゃなく、ドストエフスキーではよくあることらしい。
kindleでいちいち戻るのが面倒になって、文庫本で買ってきた。
なんだろね!なんか「罪と罰」買うのは、気恥ずかしく、嬉しかった。ぼく、ドストエフスキー買ってるなあって。

いきつもどりつ読み進めていく。読める! 義務感でなく、ちゃんと楽しんで読める!


ドストエフスキーの時代って、日本では黒船が来航して「なぜ鉄が浮くのだ」って大騒ぎになってたころらしい。
そんな時代の人が想像して書いた、実在すらしていない人の人生が紙に封じられて、令和の日本人の頭の中に入って、頭の中でまた動き始めた。
それだけで、おもしろい。

厚い小説が読めてるときは精神状態がいいとき。うれしい。
外で読むときはなんか恥ずかしいのでカバーをして、こそこそ進める。たのしい。

読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。