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平泉

2023.1.23

午前11時頃、友人の家から盛岡駅に到着し、
まずは腹ごしらえ。

銀河堂というベーカリーカフェにて
ピザトーストと小さな2つのバケット、はちみつ、ホットコーヒーを注文し
今後の計画を立てながら食べる。

予定では平泉に寄り道して、
そこから新幹線で東京へ帰るはずだったけれど
東北新幹線の運転見合わせによって
完全に予測不能の状態。

結局、このまま復旧の目処が立たなければ
友人にもう一泊させてもらうということに落ち着き
予定通り平泉へと向かうことした。

新幹線で帰れる可能性も考慮して、
盛岡駅で家族や友人にお土産を購入。

家族にはせんべい汁用の南部せんべいと
友人おすすめのごま摺り団子。
今週会う友人には
宮沢賢治とShinzi Katohのマスキングテープ
自分には宮沢賢治の詩集を買った。

発車の時間が迫ってきた
ホームに向かい、リュックと
移動用のバック、お土産の入った手提げを持って
東北本線 一ノ関行きに乗り込む。

2両しか無い車内は、昨日花巻へ行った時より
随分と人がいっぱい乗っている。

まばらに空いた席の一つにどうにか座り
荷物を棚にあげ
1時間半の電車の旅がはじまる。

お供には、読みかけの
角川文庫版『銀河鉄道の夜』

電車に揺られながら
『ひかりの素足』をじっくりと読んだ。
前回は読みにくく感じて
あまり印象に残らなかったのに、
なぜか今日は泣きそうになるほど心に響いた。

本を読みながらちらちらと景色を眺めても
今日の空はどんよりと曇っている。

どこかの駅で学生たちが
わっと大量に乗り込んできた後は
窓ガラスが曇って外は完全に見えなくなった。

駅を経るごとに人はまばらになってゆく。

学生たちがほとんどいなくなった頃
ようやく平泉に着いた。

改札を出て、ひとり駅に降り立つと
空は晴れていて明るく、それなのに
雪がちらついていた。
今日帰れるのかも、帰りたいのかも分からない
どっち付かずの今の自分みたいな天気だ。

わたしは自分の感情の置き所を探るように
その景色をじっと眺めた後
誰もいないロータリーを歩いて
中尊寺へと向かった。

街は想像よりずっと静かで
通り過ぎるのは車ばかり。

手持ち無沙汰な感覚を紛れさせようと
歩きながら昨日の出来事をメモしてみる。
だけど、雪が容赦なく水性インクを溶かし
書いた側から文字を滲ませた。

冷たい風に吹かれながら
長い奥州街道の一本道をえんえんと歩くと
ようやく弁慶の墓が現れる。

そしてその向こうに中尊寺入り口と
緩やかな階段の坂道が見える。
この坂道をずっとずっと登ったら本堂
そして金色堂に着くのだ。

まばらな観光客、まっすぐと立派に伸びる松の木たち、踏みしめる砂利の音、静かに小さく降る雪

背の高い木立を写真に残そうと
シャッターを切ったら、ちょうど雪が落ちてきた。

ゆるやかだが長い坂を登ると
体も大分あたたまってくる
見晴台を見るとこの景色

思った以上に高台だ。

弁慶堂、薬師堂を通り
ようやく本堂に着く。
釈迦如来像へご挨拶しに靴を脱いで中へ。

しばし正座で向き合っていると
さっき電車で読んだ『ひかりの素足』を
思い出す。

気がついて見るとそのうすくらい赤い瑪瑙の野原のはずれがぼうっと黄金いろになってその中の立派な大きな人がまっすぐにこっちへ歩いてくるのでした。どう云うわけかみんなはほっとしたように思ったのです。 

なんだか荘厳な気持ちになって
私は心の中で、主人公の一郎みたいに
「にょらいじゅりょうぼん。」と唱えてみた。

にょらいじゅりょうぼん
にょらいじゅりょうぼん



本堂を出てまた道を進むと
ようやく讃衡蔵や金色堂のある場所に出る。

何の建物だかもよく分からぬまま、とりあえず
讃衡蔵で券を買い、中に入った。


展示品の中で特に印象に残ったのは
まず、入り口を入ってすぐにみることができる
三体の丈六仏。
ただ圧倒された。

そして、もう一つは泰衡の首桶。
見た時は何だか息が詰まるような
ゾッとする感覚があった。

讃衡蔵を出て、ついに金色堂へ。

途中には、宮沢賢治の詩碑もある。

金色堂はガラス張りの奥にあった。

解説を聞きながら周囲を見て周り
人が去った後は真ん中へ。
タイミングよく
ひとり中央でゆっくり鑑賞することができた。

金色堂はいつ知ったのかも覚えていないくらい
昔から知っていたものなのに
その圧倒的な「金色」に、新鮮に驚かされる。

煌びやかな螺鈿細工、ずらりと並ぶ仏像
どうやってこんなものが存在し得たのだろう。

こんな華やかな場所に、今も遺体が
眠っているなんて、到底信じられない。

歴史は詳しく無いので
奥州藤原氏についての知識は全然ないけれど
これを機に色々知りたくなった。

ちなみに、金色堂は建立900年ということで
向かって右側の須弥壇にある仏像達は皆
上野の東京国立博物館に行っていた。

せっかくだし、その展覧会も観に行きたい。

外に出てさらに奥へ向かうと、松尾芭蕉の像。

正直平泉に来たいと思った理由も
松尾芭蕉だったので
ようやく芭蕉関連のものに出会えて嬉しい。

見たかったものは一通りみることが出来たので
その奥もざっとみてまわり
もと来た道を引き返す。

時刻は午後3時。
お腹が空いていたので中尊寺の中にある
茶屋で、ぜんざいを食べることにした。

無性にバニラアイスが食べたかったので
クリームぜんざいを頼んだ。

アイスは掬うのに苦戦しているうちに
どんどん溶けていき
最終的に、とても甘いお汁粉になった。

もちもちのやわらかい白玉を頬張り
口の中にあるうちにお汁粉を飲み進める。

甘さがしんどくなってきたら
紫蘇の実入りの漬物をつまむ。

あっという間に食べ終わった。



100円払うと展示品が見れるというので
お金を払い、カーテンをくぐって
小さな展示室に入ってみた。

奥の細道展とあったので、芭蕉関連の情報が
得られるかと思っていたのだが
中にはずらりと、誰かの俳句が並んでいた。
しかも達筆すぎて全く読むことができない。

茫然と立ち尽くすしか無かった。

100円払って
なにも読めないところに来てしまったのだ。

帰り道、坂を下っていると開けた景色が現れた。
立ち止まって思わず写真を撮る。

そしてまた、風景をしっかり見つめると
月がそこにいた。

撮っている時には気づかなかった。

それもそのはずで
雲がなんども
月を隠れさせたり覗かせたりしている。

またその様子を動画におさめようと
スマホのカメラを向ける。

この坂が月見坂と呼ばれるわけだと
一人納得した。



さて、中尊寺から出るともう4時。

辺りは昼間の光を失い始めている
急いで毛越寺に向かう。

スマホのアプリによると
行きに通った道より近道があるとのことで
ルートを変えてみた。

だけど、そこは想像以上の坂道。
仕方ないので早足に大股歩きで
一生懸命のぼった。

急いでいたのに
熊野三社の立派さに引き寄せられて
思わずお参りをする。

自分がどうありたいかを見つめ直すように
でもやっぱり迷いながらも、願った。

またここも、月が美しく見える
この景色を見れただけで
上った甲斐がある。

広い観自在王院跡を通り抜け、ついに毛越寺。

もう展示などは閉まっており
お庭はみれるとのことなので拝観する。

それにしても広い。

人も見当たらず、いるのは魚を探す白い鳥くらい。


鳥を追いながら、池をぐるりと一周
砂利を踏む、自身の足音だけに耳を澄ませる。


夕暮れの松の木たちは
どこか寂しげで美しい

なんとなく、自分が遠い国に
いるような感覚になる。

池をずっと歩いて、元の場所に戻ろうとしていると
空から突然、甲高い鳴き声が聞こえてきた。

あっという間に
いくつもの声たちが、雪の降る寒空に響く。

上を見上げると、雁たちの群れだった。

空に大きな矢印を描いて
まるで私の向かう方向に導いてくれるよう。

あまりの迫力に、立ち止まって
去るまでずっと上を見あげて見送った。

群れが幾つあるかを
数えてみたけれど10以上あって
数えるのをやめた。

騒がしく、それでいてどこか哀愁漂う
雁の群れの声。

真上を通ってはあっという間に
南東の空に消えてゆき

全ての群れが去ったあとは
まるで夢から醒めたような沈黙が残った。

毛越寺から出ると、今日の観光もう終わり。
新幹線は終日運休が決まっていたので
また1時間半かけて盛岡へ帰る。

平泉駅へ戻る途中
目の前にはお月さまが浮かんでいた。

今日の旅のお供はお月さまだなと思いながら

私はアンデルセンの物語のように
心の中でずっと疑問に思っていたあることを
心の中で月に語りかけた。

「旅情とは一体なんだろう」と 

私は、かつて旅情という言葉に出会った時
この言葉が自分の人生において重要だと
直感的に思った。

だけど、それ以来旅情について考えれば考えるほど
それがどんなものだか分からなくなっていた。

今回の旅では、旅情とは何かを見つけようと
いつも旅情について考えていたのだ。

非日常のこと?いつもより活発的な自分?
納得のいく答えは旅の中でも
中々見つからなかった。

その、何だか掴みそうで
掴みきれなかった感覚はなぜか
お月さまを前にした時には消えていた。

そして私は、すんなりと答えが分かった。

私にとって「旅情とは、
細やかなものにまで目を凝らし
今を大切にすることだ」と。

多分、本来の意味とはニュアンスが
違うのだろうけど、私にとって
旅情とはそういうものだと答えが出た。

だから、わたしは旅が好きで、旅するように
生きたいと思ったのだと。

そのとき、また小さな雁の群れが
一組去って行った。

その後を、カラスとも雁とも見分けがつかない
バラバラの小さな鳥たちが飛んで行った。

この群れは、さっきの大群の一部なのだろうか
それともまったく別の群れなのだろうか。

月がにわかに明るくなって
雪はますます降り始めた。

世界はもう夕闇に包まれようとしている。

けれど、私はなんだか
お月さまが友達になったような気がして
とてもたのしい気分だった。



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