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神様の前で悔し泣きして、トラウマ解消に脳内殺人が役に立つことを悟った話

1年半ほど前から開始したトラウマ治療
始める前に比べると、確かに私は生きやすくなった。

いや、ある意味では生きづらくもなった。
押さえ込んでいたトラウマが蘇ってきて、行けないところが出てきたり、トラウマが思い出されて居ても立っても居られない気持ちになって吐きそうになったり……

そして何より、自分の2大トラウマはまだ解消されていないし、自分の中で処理できるあてもない。
気持ち的には本当に、自分の手を汚すしかないのではないかと追い詰められることがしばしばある。
けど、それをして自分の人生を棒に振るのは嫌だ。何よりも嫌だ。
けど、じゃあどうすればよい?という堂々巡りをずっとしている。

そんな中、今月も眼力社への参拝に行ってきた。
今までは願い事を端的に言うことを意識していたけど、今月はどうしてもそれだけで終われなかった。
「手詰まりです、助けてください」と縋りたくなったのだ。
もっといえば「何でこんなにたくさんの辛い思いをしないといけないのか!もう嫌だ!」と叫びたくなった。

いつも4つのお願い事をしていたが、今回は4つのお願い事と心の叫びを神様の前で打ち明けてきた。

トラウマになったシーンを頭に思い浮かべながら、●●さんからこう言われた、✕✕さんからこうされたということをひたすら羅列して、最後に「もう、どうしていいか分かりません」と〆た。

過去の羅列の途中で「悔しい」という思いが溢れてきて、そしたら涙が出てきて久しぶりにちゃんと泣いた。
あの時流せなかった我慢した涙を、今になって流している感覚になった。

結局、人のストレスっていうのはその時々に感情を発散していくことでしか癒せないのだろうかとも思った。
我慢しても、それは感情の発散を後回しにするだけで、ストレスが消えたわけでもなく、ただただ蓄積されていく。
解消するには、表に出すしかないのかもしれない。
それは別に、ゲーム中でもスポーツ中でもドラマを見ている時でも良くて、ただただ表に出すというのが大切なんだと感じた。

そういう意味で、いつもカウンセリングの先生が「頭の中で相手を殺すことはOKです。むしろ乗り越えるためには良い事です」と言われた理由がやっと分かった気がした。
相手を殺すことで、自分にとって相手は怖いものではなくなったことを(たとえ脳内であっても)実感することができるということなのだろう。

何度も脳内で相手を殺してきたけど、すっきりしたことはなかったのに
眼力社で悔し泣きした夜に私に大きなトラウマを作った相手を脳内で殺してみたら、"あぁ、私はずっと怖かったんだ。けど、もう怖がらなくていいんだ"って思えた。

全て解消された訳ではないけど、恐怖が薄れたのは私にとってきっと大きな一歩だと思う。

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