『太宰治は、二度死んだ』第一章・東京篇(第4話)
大正元年十二月二日生まれのわたしは末っ子で、姉が三人、兄が二人おります。長姉が一番年上で、わたしとは十六も年が離れていました。
わたしと一番仲がいいのはすぐ上の兄の武雄で、年は三つ違いでした。
大正十四年四月、わたしが広島第一高等女学校に入った年、武雄兄は父との思想上の対立から、広島第二中学校を中途退学し、自分から家を出てしまいました。
知り合いの理髪店に住み込みで弟子入りし、誰にも頼らず自分の力で生きてゆくと言うのです。
武雄兄が家を出て行く日、わたしはその身体に泣きながらしがみついて離れず、母や姉たちを困らせたものでした。
兄の生活が落ち着いてから、わたしは女学校の帰りなどに、父に内緒でこっそり、その理髪店へ遊びに行くようになりました。
理髪店の奥は主人夫婦の住居になっており、武雄兄は屋根裏のような小部屋に起居していました。兄から和夫さんを紹介されたのも、この部屋だったのです。和夫さんは、兄が中学をやめた後も付き合いの続いている唯一のお友達なのでした
「シメ子さんは、読書が趣味じゃとお兄さんから聞きました。絵のタイトルは〝本を読む少女〟にしたい思うとります。僕の理想は、ルノワールの〝ピアノに寄る少女たち〟のような絵なんです」
和夫さんは、わたしが女学校の制服姿で椅子に座って本を読んでいるところを描きたいのだと言いました。
モデルになる日は、実際に自分の好きな本を持ってきて読んでほしい。いい形になったところで声を掛けるから、そうしたら動きを止めてくれというのです。
言われた通り、当日は自分の書棚から一冊の本を抜き出して、理髪店の兄の部屋へ行きました。
キャンバスの前に置かれた椅子に座って、本を読むふりをするのです。
「あ、その形です。シメ子さん、このまま動かんどってつかぁさい」
和夫さんの言葉に、わたしははっと動きを止めましたが、それからが大変でした。
動かないでいることが、こんなにしんどいこととは知りませんでした。
しかも、いくら絵のモデルと言っても、男の人にじっと見つめられていると思うと、自然に頬が火照ってきて、胸は動悸が打ち始めるのでした。
しかも、ちょうど頁を捲りかけたところで声をかけられたので、いくら手を動かさぬよう努めても、指が小刻みに震えてしまうのです。
そのうち、なんだか頭までくらくらしてきました。
「シメ子さん! 息はしてええんです。息は……」
慌てた和夫さんの叫ぶのがもう少し遅かったら、わたしはあやうく酸欠で気を失っていたかもしれません。
こうしてわたしは毎週日曜日に、和夫さんの絵のモデルを務めることになりました。
休憩時間には和夫さんと兄と三人で、いろいろな話をしました。
「好きな本言うたら、『葛西善蔵全集』を持ってこられたんでびっくりしました。難しい本を読まれるんじゃのぉ、シメ子さんは」
いかにも感心したように和夫さんに言われ、わたしがちょっと得意なような、恥ずかしいような気持ちで、意味もなく三つ編みの髪の先を指に絡ませていると、兄が無遠慮に口を挟んできました。
「こいつは文学少女なんじゃ」
「そりゃ聞いとったけど、僕はもっと別の、なんて言うかな……」
「もっとロマンチックなやつじゃ思うたんじゃろ? 今日は君の前じゃけぇ、シメ子のやつ、格好をつけよるんじゃ。こいつだって、ふだんは惚れたはれたいうのばかり読んどるのさ。『みだれ髪』みたいな……」
「武雄兄ちゃんなんて、だいっ嫌い!」
わたしは思わず兄の肩を打ちました。
やは肌のあつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君
春みじかし何に不滅の命ぞと ちからある乳を手にさぐらせぬ
与謝野晶子の『みだれ髪』は、ふだんは文学なんて嗜まない中学生たちが、唯一隠れて読む本として有名でした。
兄も家を出る以前、こっそりわたしの書棚から『みだれ髪』を出して読んでいたのは知っていますが、他人の本を盗み読みしておいて揶揄うなんて、ずいぶんひどい話です。
「そんなふうに自分の妹を虐めるもんじゃないよ」
和夫さんが真面目な顔で兄を窘めてくれたのが、とても嬉しかったのを覚えています。
「僕は葛西善蔵を読んだことないんじゃが、どがいなことを書いとるのですか」
自分より年下の小娘に、こんなことをごく自然に訊けるのが、和夫さんの良いところでした。
どういうわけか、男の人というのは、何かと女にものを教えたがります。
男の人がわざわざお金を払ってカフェーに来て、女給たちを相手に他愛のないおしゃべりをするのは、わたしどもがいつもお客さんたちの話をさも感心したように、そして熱心に聞くからなのです。
葛西善蔵が四十一歳で血を吐いて死んだ直後、昭和三年に改造社から刊行された『葛西善蔵全集』は、わたしの宝物の一つでした。
わたしは『惡魔』という短篇の一節を指差して、和夫さんに見せました。それを和夫さんが声に出して読んでくれます。
「『運命はいつも悲しい。霊魂はいつも淋しい。そこに我等の芸術がある』、なるほど……」
和夫さんは、じっと考え込むような顔をしました。
「ここも、読んでみて。とてもよくってよ」
わたしは調子に乗って、また別の箇所を指差します。
「『椎の若葉に光りあれ、僕は何処に光りと熱とを求めてさまようべきなんだらうか。我輩の葉は最早朽ちかけてゐるのだが、親愛なる椎の若葉よ、君の光りの幾分かを僕に恵め』。うん、しいちゃん。こりゃ、ええです。いっぺん読んだだけで忘れられんようなります」
「『椎の若葉』。葛西善蔵の作品の中で、わたしはこれが一番好きなんです」
「おいおい、そこの女文士と、二枚目の画家先生。お熱いところ野暮なこと言うてすまないが、そろそろ絵に戻らんと、いつまで経っても完成せんぜ!」
兄が混ぜっ返すまで、わたしと和夫さんのふたりで話し込んでしまっていることもありました。
和夫さんはいつからか、わたしのことを〝しいちゃん〟と呼ぶようになっていました。
二ヶ月ほどの時間をかけて完成した〝本を読む少女〟は、県のコンクールで見事一位に選ばれました。
その絵が戻ってきて、中学校に展示されていると聞き、わたしは消え入りたいような恥ずかしさと、自分が崇高な芸術というものに、いささかなりと貢献できたような誇らしさで、なんとも複雑な気持ちになったものでした。
あの頃がわたしの人生の中で、一番輝きに満ちた時間だったのかもしれません。
……ふと、肌寒さに目を覚ましました。
隣には、いぎたなく口を開けた順蔵の寝顔がありました。
すっかり梅雨入りした東京は、連日気の滅入るような雨に降りこめられていました。
今年は冷夏なのか、六月だというのに夜半に寒さで目を覚ますほどでした。
もっともそれは、安普請のせいで壁に隙間が多いことと、眠った順蔵がいつの間にか一組しかない蒲団の、わたしの分まで取ってしまうせいもあったのですが。
今日も一日中家にいたらしい順蔵は、あり余る精力を吐き出すようにわたしを求め、思い遣りの欠片もないやり方でわたしを抱き、そしていきなりわたしの上で果てた後、すぐに寝入ってしまいました。
今日も遅番で疲れ切っていたわたしは、ようやく今日の全てのお務めから解放された安堵感で、やはり落ちるように眠ってしまったものと見えます。
「光りあれ」
乱れた浴衣の襟を直し、蒲団を少し自分の方へ引っ張りながら、そっと呟いてみました。
人生というのは、こんなに簡単に変わってしまうものなのでしょうか。
武雄兄の部屋で、夢中になって小説や絵について話していたわたしは、その後わが身に起こることを、何ひとつとして知ってはいませんでした。
「椎の若葉に、光りあれ」
もう一度、小さく言ってみました。
その言葉は、まるでわたしの人生そのものが立てた音のように耳の中で鳴りました。