『太宰治は、二度死んだ』第一章・東京篇(第2話)
わたしが内幸町のアパートの部屋へ戻ったのは、そろそろ日付が変わろうとする時刻でした。
アパートと申しましても、もちろん御茶ノ水にある文化アパートメントのような立派なものではありません。
都会というのは不思議なもので、何か新しいものができますと、それがすごいはやさで模倣され、量産されていくのですが、模倣されればされるほど、数が増えれば増えるほど、品格や価格というものは逆に下がってゆくもののようです。
カフェーにしましても、最初に〝プランタン〟が、次に〝ライオン〟ができたのは前に申し上げた通りですが、震災の直後には、〝ライオン〟に対抗するように〝タイガー〟という名のカフェーが、そして次は〝黒猫〟が……という具合に増えてゆきました。
今や銀座のカフェーと一口に申しましても、著名な文士様など、芸術家の先生方が常連の高級店から、それこそ〝ホリウッド〟のように、十数人もお客さんが入ればいっぱいになってしまう小さな店までございます。
それと同様に、やはり震災の後、東京のあちこちにできたアパートも、名前は同じながらピンからキリまであり、わたしの住んでいる部屋はキリの中でも最底辺に属するものでした。
開くと、ぎいと耳障りな音のする安普請の戸を、細心の注意で開けた時には、もしかしてもう眠っていてくれるのではないかという淡い期待もあったのですが、一升瓶を傍らに布団の上に胡坐をかいて、じっとわたしを見つめる順蔵の暗い目を見た時、わたしは胃のあたりがぎゅっと石でも詰められたように重くなるのを感じました。
高林順蔵。
以前、広島の歓楽街〝新天地〟にある〝平和ホーム〟というカフェーで女給をしていた時、わたしを張りにきていた客が順蔵でした。
「あら、まだ起きてらしたの?」
わたしは、わざと明るく順蔵に話しかけました。
最近、順蔵が黙っていると、わたしは腋の窪みやお乳の間にいやな汗が滲むほど怖いのです。
なんでもいいから話していないと、耐えきれない気分になるのです。
「女房だけ働かせておいて、わしが先に寝るわけにもいかんけぇな」
自嘲めいた笑みで口を歪ませている順蔵の目が、厭な光を帯びていました。
「そんなこと、気にしなくていいのに」
わたしは順蔵の視線を逃れるように流しへ行くと、手早く化粧を洗い落としました。
「何か食べるか」
「ううん。もう済ませてきたから」
答えながら、首の後ろに手を回してファスナーを下げました。
広島で女給をしていた時は着物だったのですが、東京へ来てからは洋装の方が多くなりました。
断髪には洋装の方が似合うのはもちろんですが、着るのも脱ぐのも簡単なのが、実はわたしが洋装を好む理由でした。
ワンピースの背を割って露わになった背中を、順蔵がじっと見つめているのを感じました。
毎日銭湯にいくお金がなく、一週間のうち三日か四日は、こうして流しで身体を、固く絞ったタオルでごしごし擦るのが、わたしの入浴なのでした。
それでも、さっぱりと生き返った気分になって、わたしが綿のように疲れた身体をようやく煎餅蒲団に横たえた時、待っていたように順蔵が、酒臭い息を吐きかけつつ、わたしの上に覆いかぶさってきました。
前に一度、今日は疲れているからと断ろうとして、半殺しの目に遭わされたことがあるので、わたしは抗わず、されるがままになっていました。
われはわしを莫迦にしとるんじゃろう? 新劇の俳優になんかなれる筈がないと鼻で嗤っておるのじゃろう。そんなことを喚きながら、あの時順蔵はわたしの髪を摑んで、部屋中引きずり回しました。わたしははっきり命の危険を感じ、誇りを傷つけられた男というものは、女にどんな残忍なことでも、平気ですることのできる生き物だということを知ったのです。
今日お店にいらした津島修治という人のことが、思い出すともなく頭に浮かんだのは、順蔵が隣で高鼾をかき出してからでした。身体は疲労の極みでしたが、目だけは妙に冴えていました。
わたしはあの方を傷つけてしまった、あの方はもう二度とお店に来ては下さらないだろう。いえ、お店のことは別としても、心ないことを口にしてしまった自分が悔やまれてなりませんでした。
言葉にうっかり故郷の訛りが出て、それを東京の人に笑われる辛さは、わたし自身よくわかっている筈でしたのに。
――東北の方でしょう?
あの言葉には、悪い意味は微塵もなかったのです。
広島は造船業の盛んなところですから、〝新天地〟にも東北からの出稼ぎのお客さんがいらっしゃいました。同郷の方々どうし、四五人でいらして、隅の方のお席で小さな声で話しておられました。慣れない仕事で、へまばかりやらかしていた当時のわたしに優しく接して下さったのは、むしろこうした出稼ぎの方たちでした。東北の方はサ行の発音に特徴がありますが、それと同じ音を、あの方の声の中に聞いたのです。
――ツシマ、シュウジ。
お名前を尋ねたわたしに、あの方はそうお答えになったのですが、その時、〝ツシマ〟が〝ツスマ〟のように聞こえました。
瞬間、わたしは新世界でお相手をした方々を思い出して懐かしく、本当はあの方がどんな言葉をわたしに期待されていたのか、そのことに気を回す余裕がなかったのです。
一瞬、虚をつかれたように黙ってから、あの方は気弱げに笑いました。それから、逃げるように席を立っておしまいになりました。
その夜、わたしはいつまでも眠れませんでした。窓を叩く五月の雨音が、一晩中響いていました。