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『太宰治は、二度死んだ』第一章・東京篇(第1話)

あらすじ:
時は昭和五年(1930年)。数えで十九(満年齢十七歳)の田辺あつみは、銀座のカフェー・ホリウッドの女給をしている。同棲している男・高林順蔵はヒモのような存在だ。五月のある雨の日、不思議な若い客がホリウッドにやってきた。江戸っ子言葉を混ぜながら、話術巧みに話す男の発音に、あつみは微かな東北訛りを聞き取る。その男は「津島修治」と名乗った……。

帝大生と女給が心中
 
【鎌倉發】相州腰越小動神社裏海岸に廿九日午前八時ころ若い男女が催眠剤をのみ倒れてゐるのを發見、七里ヶ浜恵風園療養所に収容手當の結果男は助かつたが女は死亡した。右は青森縣金木町旭山四一四津島文治弟で東京市外戸塚町諏訪二五〇常盤館方帝大文學部佛文科三年生津島修治(二二)、女は銀座ホリウッド・バー女給田邊あつみ(一九)で……
 
――『東京日日新聞』(昭和五年十一月三十日付)

 
 ※※※※※
 
 ――あの日は、雨が降っていました。
 
 カフェーは銀座が発祥の地で、明治の末にあの有名な〝プランタン〟が、続いて〝ライオン〟が開業しました。
 ただ、カフェーと申しましても、最初からどちらのお店にも珈琲コーヒーだけでなく、お酒も置いてあったそうです。
 わたしのいるお店も事情は同じで、昼間はさすがに珈琲やココアをお飲みになるお客さんが多いのですが、日が暮れてからはお酒が主で、夜のカフェーは、実はバーと変わりありませんでした。
 カフェーの特色と申しますのは、わたくしども女給じょきゅうの存在で、お客さんの中には特定の女給がお目当てでお通いになる方も少なからずいらっしゃいました。
 女給目当てでカフェーにくることを、〝女給を張る〟と申します。
店の中には〝ボックス〟と呼ばれる特別な席があり、外からはボックスの中の様子は見えないようになっておりました。
 女給を張りにくるお客さんは、その席になんとか意中の女給を引っ張り込もうとなさるのですが、ボックスに入ったが最後、二人は合意のものとみなされ、多少声を上げても店の者は聞こえないふりを致します。実は女給たちはボックスが嫌いで、よほどのことがない限り、いくら誘われても首を縦に振ることはございませんでした。
 お客さんのご機嫌を損ねないように、またお店に来ていただけるように、脈のあるようなないような、気のあるようなないような、そんな素振りでうまくお相手するのが、女給の手練てれん手管てくだでもあったのです。
 わたしはそんな女給の生活を、昭和五年の三月からしておりました。数えで十九、満年齢で十七歳でした。
 
 あの方が初めてお店に見えたのは、朝から気の滅入めいるような細かい雨の降っている宵のことでした。
 第一印象はいかにも遊び馴れた通人という感じで、お召し物は渋い久留米くるめがすり、しかも更紗さらさの下着をわざと少し見せるように着ていらっしゃるところが大変お洒落しゃれな印象でした。
 でも、ちょっと趣味が玄人くろうと好みすぎて、どう見ても二十歳そこそこの、まだどこかに少年の面影が残っているお顔とうまく釣り合わないような、そんな印象がないわけでもありませんでした。
 昔を知る方は、大正十二年のあの大震災以来、銀座はすっかり様変わりしたと仰います。
 うちのお店にしましても、震災の復興時にそれこそ雨後うごたけのこのように銀座に林立したカフェーの一軒で、〝エロ・グロ・ナンセンス〟を地でいく小さなお店でした。そういう店だからこそ、わたしのような田舎者も雇ってもらえたのでしょうが、あの方のご様子はその意味ではかなり異質で、話に聞く震災前の遊び人というのは、もしかしたらこんな風だったのではないかしら、と何も知らぬ小娘が生意気にも思ったものでした。
 ちょうど手の空いていたわたしが御注文をうかがったのが、大袈裟おおげさに言えば何かのご縁ということになるのでしょうか。あの方はわたしに、自分の隣に座るようおっしゃり、そしていろいろなお話をなさいました。
 そう、あの方は〝お話〟をするためにいらしたのです。
「この店の名前はホリウッドと言うんだね。ホリウッドというのは亜米利加アメリカで映画の都と呼ばれている所だよ」
 という言葉を皮切りに、とにかくずっと一人で話しておられました。
 立て板に水。まるで台詞をすべてそらんじている俳優みたいに淀みなく、映画のお話やら、最近新聞を賑わせている事件やら、次から次へと話題が出てくるので、わたしはただ相槌を打っているだけでよく、楽と言えば、こんなに楽なお客さんもありませんでした。
 しかも話術が巧みで、「べらんめえ」とか「生かしちゃおけねえ」などと、時折ときおり江戸言葉が混ざるのも面白く、決してお世辞笑いでなく、わたしは何度も声を上げて笑ってしまいました。
 夜も大分更け、お客さんも一人去り、二人去り、思い出したように外の雨の音が耳につくようになった頃、あの方が冗談めかした口調で、そのくせ眼だけは妙に真面目に、
「君は、ぼくがどこの生まれかわかるかね?」
 と言いました。
 長い間お話を聞いているうちに、前から存じ上げている方のような気安さを覚えていたわたしは、つい深く考えもせず、
「東北の方でしょう?」
 と答えてしまいました。 
 ふっと、あの方は口をつぐまれました。
 わたしはようやく、自分がとんでもないしくじりをしたことに気づき、いきなり水を浴びせられたような心持ちになったのです。


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