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【無料】養魚秘録『海を拓く安戸池』(7)~南水門開設~

野網 和三郎 著

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(7)~南水門開設~

 着業三年目をむかえて、試験養魚の結果から将来への飛躍を期し寄魚漁業権の買収も終え、如何なる施設を行なうとも異議の出る心配はなく、自分の海として養魚が出来ることが何よりの励みとなったのである。ただし池内の漁船の出入、航行については充分の留意をおこたらなかった。まず本年の施設としては南水門新設を第一に、その次は餌料用冷蔵庫の建設申請書の提出を計画したのであった。

東 水 門

 南水門の新設については、その位置を松鼻崎の松の切れ目の沖側と決め、規模は幅員を十メートルと、左右の道流堤を最大干潮線より三メートル沖迄とし、水深を干潮線下一メートルというものであった。その許可申請書提出は香川県庁土木課まで持参し、早急に許可証を戴けるよう係官に懇々事情を説明し、暗に直ちに着工をするのを認めてほしいといった要請までしていたのであった。それはハマチ稚魚の放流迄には、是非完工したいというのが願いであって、通例なれば施行許可は年末までもかかると思われたので、許可を待たずに、三月の大潮時を期して著工に踏みきったのであるが、県のお叱りを受けることは重々承知の上である。

 昼夜を分たぬ強行工事を続けた結果、五月下旬には南水門が貫通して、水が流れ始めたのである。それまでの干満の差よりは十五センチ以上も多くなり、時間も三十分以上も早くなったので漁場の価値は倍加したのであるが、その直後県庁に再三召喚され土木課でさんざん叱られたのであった。

 その当時には今はなくなった水産課の課長補佐の三井技官が、土木課の走り役人をしていた頃で、こんこんと養魚事業の特殊性を説き話し、傍で土木部長に進言して貰ったのである。しかし平田土木部長は、国家のものを許可もなしに大それた事をする!元通りにせよ!とこの一点張りで、どうも御機嫌ななめで、とりつく島もなく、私は勇気を出して言ったのである。そのお叱りはよく分るが、私も申請書は提出しているので、早晩許可が来るものとの想定のもとに悪いとは知りつつも、魚が大切だという、ひたむきな心に負けて着工したのだから赦して貰いたいと念願し、また口返事のようにみえるかも知れないが、私は国のものをよくするために、自費を投じて貢献しているのであるから、そんなに元通りにせよと叱られる筈のものではないと、これも負けずにねばったのである。

 月日がたつにつれ、少しずつ優しくなり、遂に許可をして貰うことが出来たのであった。後日平田氏に会った時、君の真剣さには心を打たれたと笑いながら述懐しておられたのであるが、ちょうど坪井勧吉知事の時代であった。

養魚秘録『海を拓く安戸池』(7)~南水門開設~〈了〉

養魚秘録『海を拓く安戸池』(8)


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