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元プロ野球選手ではない私が、NPBで二軍マネージャーをする話 【vol.1】

湊谷です。

まずはじめに。

今月末で、約5年間続けた仕事を辞めることになりました。

この報告をInstagram上で行ったところ、とてもたくさんのコメント・DMをいただきました。

湊谷 智将 on Instagram: "【ご報告】 今月末で、約5年間続けた今の仕事を辞めることになりました。 来月からは、IT業界で働きます。 在籍中、たくさんの想い出がありますが、とにかく人に助けられ、人に恵まれた期間でした。 一つずつ振り返るとキリがないので、今後はひっそりと始めたnoteに、時間がある時にでも書いていきたいと思います。 似たような話になりますが、今後は、球団関係各位にとって不利益にならない内容と範囲内で、一ファンとして野球のことも発信していければなぁという気持ちです。 選手の皆さん、シーズン中なので直接言えてない人が多くてすみません。 近いような遠いような場所から、1人1人をずっと応援しています。 関わっていただいた全ての皆様、本当にお世話になり、ありがとうございました!" 991 Likes, 56 Comments - 湊谷 智将 (@t.minatoya) on Instagram: "【 instagram.com

自分の想いは、ファンの皆さんに少しは伝わっていたんだな、と実感することが出来ました。少し報われる気持ちで、とても励まされました。



私のほうこそ、ありがとうございましたという心からの感謝を、この場を借りて改めて皆さまに伝えさせてください。


(私がどういう気持ちで仕事をしていたか、でnoteの記事一本は書けそうなので詳しくはまたの機会に)

在籍期間を振り返ると、話すネタはいくらでもあります。これからは、色々な場所に支障ない範囲で、過去を振り返りながらこういったnoteでの発信をしていきたいと思います。

今回のテーマは、タイトルの通りこちらです。


「元プロ野球選手ではない私が、NPBで二軍マネージャーをする話」


湊谷=二軍マネージャー というイメージを持たれている方が多いのかなと思います。(間違ってはいません)

事実、私のキャリア的に、

二軍マネージャー・・・3年間
営業部・・・約2年間

というバランスです。チームと一緒に動いていた期間の方が長いことになります。

二軍のマネージャーって、そもそも何をする人?
元プロ野球選手じゃないのに、どうやって就任した?
何をして、何が心残りか?

色々と自分の言葉で振り返りたいと思います。


「マネージャー」という存在を知ったきっかけ


さて、プロ野球の世界でマネージャーを務めたことを振り返るには、まず私にとってマネージャーとは、どういう存在なのか?という議題は絶対に避けて通れません。


時は、高校時代まで遡ります。

私は埼玉県にある川越東高校という男子校出身で、そこで3年間野球部に所属し、汗を流しました。

入学した当時、3年生には高梨雄平さん(現・巨人)が居る環境でした。


実力もカリスマ性も兼ね備えている先輩で、後輩の強い憧れ的な存在でした。1年生の夏でベンチ入りを目指していた私も、少ない接点ながらとてもお世話になったことを覚えています。

高梨さんは最後の夏の大会を終えた後、早稲田大学への入学が決まります。

同年(2010年)秋、その早稲田大学野球部が、秋季リーグ戦で優勝を果たしました。その先の明治神宮野球大会においても優勝という最高の形を残し、大学野球最強の称号を手にしています。

チームの中心にいたのは、当時4年生だった斎藤佑樹さん(元・日本ハム)

そしてその最強チームを支えたと言われていたのが、主務(=責任マネージャーのことです)だった福満遼さん

福満さんは、川越東高校のOBでした。


同じく早稲田大学野球部には、深田賢一さんという川越東OBがおり、深田さんもまた、「マネージャー」という存在でした。

(4年生になった2012年、深田さんは主務となり、同年の早稲田は春季リーグ戦優勝。そして全日本大学野球選手権も、決勝で東浜巨投手率いる亜細亜大に勝利し、優勝しています。)


この先輩方の活躍を見て、私の中での「マネージャー」という存在が変化します。

一般的に考えて、マネージャーと聞くと、男女問わず高校野球のマネージャーが連想されるパターンが多いかと思います。

選手にノックを打ってあげる等の練習補助を行ったり、主にグラウンドに出て、チームの環境を整える。そしてチームの勝利に貢献する。これが高校生の私が実感していたマネージャー像です。

ただし、早稲田大でマネージャーを務めていた先輩2人の活躍を見聞きすると、その姿はまるっきりイメージとは違いました。聞けばその業務は、多岐にわたります。

彼らがしていたことは、部の年間予算を管理して、練習時にグラウンドに出るというよりは寮のマネージャー室で業務に従事。そして東京六大学連盟や野球部OB、大学職員、各種メーカーやキャンプ地の市役所やホテル等のあらゆる関係者とのやり取りを担当。当然、メールも返せば、代表電話をとり、個人携帯も頻繁に鳴ります。ブログを書いたり、SNSの素材集めから更新まで、外部向けの広報誌作成とその広報誌の広告集め、完成後は地域への配布とリーグ戦の集客活動。


もはや、小さい会社の経営をしているのと似たような感覚です。

更には、主将や学生コーチと話し合い、チームのあるべき姿や日々の練習メニュー、寮規則を決めていきます。そしてそれを、部員に浸透させていく。チームビルディングも行います。


どこからどう見ても、マネージャーがチームの中核を担う存在であることが分かるかと思います。


こんな風にチームに貢献する方法もあるんだ、カッコいいな、と思ったのを今でも覚えています。


かくして私は、大学野球のマネージャーという存在に対して、魅力や面白みを感じるようになります。


これが私の、「マネージャー」という存在を知ったきっかけです。



東京六大学の舞台へ


前述したようなきっかけがあり、私の中の前提は大きく変わりました

時は過ぎ、私の高校野球も終わりを迎えました。

私の小学生・中学生での出来事(これはまた別の記事で、まとめます)や先輩方の影響もあり、私の進路希望は東京六大学、中でも立教大学一本でした。

高校野球引退後、早稲田大学野球部のセレクションも受験しましたが、あえなく落選。

実戦形式のシートバッティングでは2の2でヒットを打ちましたが、高校で大した実績もない男が合格できるほど甘くはありません。ちなみにこのセレクションに、同い年の石井一成 選手(現・日本ハム)が居たのは強く記憶に残っています。



そんなこんなで、早稲田にはご縁がなく、志望していた立教大学に合格。

2013年の4月に、野球部の門を叩きました。

入学当時の立教大学はまだ土のグラウンドで、1年生は朝の6時から朝整備がありました。

眠い目をこすりながら整備を行い、ロッカーで仮眠したり、志木駅の松屋で朝食をとったりして1限の授業に備えます。


まだまだユニホームを着て練習が出来ない期間、ある時グラウンドが空いていて上級生も誰も練習していない時間を見つけてキャッチボールをすることになりました。


最初のうちは、行動パターン的に、自然と同じ学部の同級生と動くことが多くなります。私も例外なく、同じ法学部の同級生とキャッチボールすることになりました。

大学生活初めてのキャッチボール。誰も見ていない状況ですが、何かが始まるような心持ちで臨んだのを覚えています。


しかし、ここで私は脳天を貫かれます。

同級生の球が、同じ野手なのに、やけに強い。そして肩が温まって距離が離れていくと、どれだけ距離が離れても、送球の威力は落ちずに低い球が私の手に届きます。私は助走をつけて、1バウンドがやっとです。


「ちょっと待て。なんだ、こいつは?」

衝撃と同時に、強いショックでした。相手は甲子園に行ったことも無ければ、進学校出身の部員。大学野球って、これが普通?こんなに周りのレベルが高いのか?ヨーイドンの1年生の相手がこれじゃ、甲子園で成績残してきた4年生とかどうなるんだ?俺、選手でやっていくの無理じゃないか?と頭の中がグルグルと回りました。


これは、今思えばある意味運命で、私が選手をいきなり諦めるきっかけを作ってくれたのだと思っています。


その同級生の名は、田中和基 選手(現・楽天)です。



彼は同じ法学部として、たくさんの思い出があります。1番最速で、大学で彼のポテンシャルを感じたのは、きっと私だろうなと思います。笑

↑そんな和基との思い出の一部が記されているブログがこちら

余談ですが、法学部のテスト勉強は壮絶で、今では絶対に出来ない勉強スケジュールを組んでいました。

歩きながら勉強したり、食堂や寮の自室ではなく、時には場所を変えてウエイト場で勉強をしたり、、、

深夜のウエイト場で必死に勉強する私と、当時の彼


そんな彼との出会いもあり、私の心は早速折れかけることになります。そして次第に気持ちは、マネージャーへの転向へと向いていくことになるのです。



次回予告

書いていて感じたことですが、一体このテーマだけで、vol.○、いくつまで行くのでしょうか。今回は一旦、ここまでにしたいと思います。

次回は、

・大学野球でマネージャーになるまで
※大学のマネージャー4年間について振り返るだけで、note数本は書けます。手が追いつかない。

・大学卒業後、なぜ銀行に行ったのか
・現在の仕事への出会い

このあたりについて、触れていきます。

ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

需要がありそうでしたら、今後もこんなペースで書きますので良ければぜひリアクションをお願い致します。私が書きたいからやっているのですが、プラスαの書くモチベーションにも繋がります。

それでは。



↓第二話

↓第三話

※続編は現在執筆中...✒️

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