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〈はじめに〉思い出を記録してこなかったことへの後悔

 私は若い頃から思い出のものを残すことに興味がなく、写真はほとんど手元に残っていない。スマートフォンで手軽に綺麗な写真を撮れるようになっても、めったに撮ることはなく、飲食店で料理にスマホを向ける友人がいても、なぜ撮るのか理解できなかった。日記なども、書き終わっては未練なく捨ててしまう。
 しかし、そんな私も40代後半になり、「写真を撮っておけば良かった」「なぜ、あの町のことをもっと知ろうと思わなかったのだろう」などと後悔するようになった。
 特に後悔しているのは、中国に住んでいた頃の写真をほとんど撮っていないことだ。夫の海外赴任で約1年間、中国の江蘇省蘇州市に住んだ。少なくとも3年は滞在するのかと思っていたが、さまざまな事情があり、急きょ帰国することになった。 
 帰国の日の朝、タクシーで上海の空港へ向かった。私は車窓に流れる蘇州の街を見ながら、ずっと涙が止まらなかった。私は、この街が好きだった。もっと暮らしていたかった。ちゃんと知らないまま去ることが悲しくてならなかった。そんな感情になるとは思いもよらなかった。

当時、蘇州で暮らしていたマンションから見た風景。2016年6月。

 なんとか探しても、ここにある2枚の写真しか見つからなかった。馬鹿だなぁと思う。トップの写真は、2016年1月、春節の装飾が施されたデパート『新光天地』。ここには、食料品を買いに出かけていた。日本でも見かけるような食材が手に入り、中国語が話せなくても買い物がしやすかった。
 
 単なる日常をこんなにも恋しく思う日がくるなんて。もう二度と訪れないかもしれない場所。二度とやってこない日。今は特に愛着を感じていなくても、何の意味もないかもしれないけれど、ちょっとずつ残していこうかなぁと思ったのだ。


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