見出し画像

自分の内側から出てきたものを大切にしていきたい

最近、私の身の回りでは「消費される」とか「評価される」とか「いい文章とは」とか、人に見られることについて考える機会が多かった。

少しずつでも自分の文章を人に見てもらわないとダメな気がして、まずは限られた人の中で文章をポンっと置いてみている。

でもやっぱり意見を聞くのが怖くて、文章どうかな?とまだ一度も聞けてない。

これからはきっといろんな人からの意見を聞いていかないといけないけど、それもまた少しずつやっていけたらと思う。

私はつい最近まで人の目を気にして、他人軸で生きることが当たり前だったから、自分軸で生き出してまだ3歳くらいな状態。

誰かに見られていることを意識してしまうと、取り繕ってしまうような気がして、自分の内側から出たものを誰かに見てもらうことの難しさを実感している。

小さい頃、新年におばあちゃん家で叔母から書き初めを教えてもらったとき。

叔母はとても優しく教えてくれていただけなのに、大人数に見られながら、自分がうまくできないものを見守られている状態に耐えられなくなって泣き出してしまった思い出がある。

母親には「そんなふうに泣いたら、これから誰も教えられないよ」と言われたことを今でもよく覚えている。

当時の感情はそんなに覚えてないけど、今思うと、誰かに見られていることで、自分のペースが保たれなくなることと、誰かに教わることも苦手だったし、うまくできない自分が悔しかったし、怒られているような気持ちになってしまったし、といろんな感情がごちゃ混ぜになって混乱して泣き出してしまったんだと思う。

そんなエピソードはたぶん他にもいくらでもあって、人の目を気にして生きてきた。

やっと自分の心が聞こえるようになってきて、初めて自分がやってみたいと思ったことが、文章を書くこと。

文章を書いていけるようになるには、たくさん文章を書いて、人に見てもらって、意見をもらうことが必要なんだと思って、勢いに任せてエッセイを応募してみた。

それがこちらなのだけど、内容が内容なので、ダイレクトに友達に、「ぜひ読んで!」とは言えなくて、ワンクッションほしくて、こんな回りくどいお知らせをしています。

タイトルは、編集部の人が考えてくれたもので、内容から大きくずれているわけではないし、むしろ私が書いたことをわかりやすくしてくださっている。

なのだけど、改めて他者からの見方を教えてもらったような気分になって、胸にゔっとくるものがあった。

たぶん抵抗感みたいなものだと思う。

これから私が絶対に向き合っていくテーマだし、絶対書いた方がいいと思ったし、そう思ったものを採用してもらって嬉しかったのも事実だし、でも自分の実力というよりも題材が題材だからなのかもしれないな、とかぐるぐるいろんな感情が巡ったのも、事実。

私の中で「消費される」ことってなんだろう?って考えたときに、落ち着いたところは、誰かに評価されることなのかなと思った。

自分だけの体験だったものが、誰かにジャッジされると、私の感覚と全く同じになることはとても難しいこと。

違うものとして捉えられた評価を耳にすることで、私の中に全然違うものとして入り込んでくるみたいな感覚が、消費されてしまったってことなのかなって…

まだうまく説明できてないけど、今説明できるのはこの程度。

今回を経て、外側に自分の内側を発信することは、誰かの捉え方が私の中に入り込んでくる可能性が増えるってことなんだなって体感した。

「根岸さんはどのくらい自分の身を切り売りするか考えなきゃね」

と言われた意味が、少しわかった気がする。

それでも私から出てきた言葉が、誰かの胸をちょっとだけ温かくすることができたら、そんなに嬉しいことはない。そんなふうになれるように、私は文章を書けるようになりたいと思った。今はそれを目指して頑張りたい。

ということなので、初めて採用されて嬉しかったけど、勇気がなくて静かにお知らせしたい気持ちと、重たいテーマが苦手だよって人は読まない方がいいかもです、というお知らせでした。

もし読んでくれる人がいたら、ぜひ感想教えてください👂


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?