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「愛すべき傷跡を残した日々」

人生のうちに「尊敬できる人」に出会える人は、どのくらいいるのだろう。
 
私は22歳になるまで、尊敬できる人に出会ったことはなかった。

周りにいる友達全員に尊敬できるところはあったけれど、尊敬できる人の欄に、たった一人を選んで書くほどの絶大な存在感のある人なんていない。存在すべてを尊敬できて、胸を張って「こんな人になりたいです!」と言える人なんて、みんな本当にいるのかな、とぼんやり考えていた。
 
約3年前の22歳のとき。私は大学を卒業して、小さなイベント会社に就職した。茅ヶ崎に感謝の思いを還元したいという思いで、映画をきっかけに出会った夫婦が営む小さな会社。「新卒マークを捨てるなんて」と私の家系の男たちは反対していた。
 
とても不思議な価値観を持っている夫婦だった。
 
今まで誰にも怪しい目で見られないように、必死で普通を装って生きてきた私にとって、二人が変わり者に見えたし、到底、理解もできなかった。
 
それでもどこかうらやましかったんだと思う。
 
自分の好きなものを、誰に何と言われようとも気にせずにいること。
 
みんなに変わっていると言われたって、これが私たちの幸せなんだと、自由に生きていること。
 
私は憧れてしまっていた。
そして初めて尊敬する人に出会った。
 
初めはぎこちなく過ごしていたが、少しずつお互いに自分の考えを自由に話すようになった。

この人たちなら、私の頭の中を話しても、馬鹿にされない。むしろ突拍子もない返答が返ってくる。真面目に返してくれる。それが本当に嬉しかった。普段から脳内が、ずっとしゃべりっぱなしの私は、安心して脳内の言葉を外の世界に放つようになった。
 
私は誰かと話すとき、車の運転席と助手席に座って話す時間が一番のお気に入り。相手の表情を見ることはできないけれど、いつもより少し距離は近いような、程よい緊張感。でも顔を見なくて済むから、必要以上に気を使わなくて済む安心感もある。全く反対の気持ちが入り混じって、小さな非日常の空間が、気軽に生まれる。でもそんなよくあるシチュエーションに、非日常という大層な名前がつくなんて、みんなは気づいていない。それがまたいい。
 
初めての社会人生活で忙しく過ごす合間に、私は社長さんといろんな考えの交換をした。その中でも、車を運転しながら話す時間は、私にとって大切な時間だった。
 
社長さん自身も、何か私の心に残すミッションを掲げていたのではないかと思うほど、一緒に仕事をする日には、必ず1つお話をしてくれていたように思う。私の大事なノートには、細々とお話が書き留められている。いつまでも自分の心に留めておきたいと思える、考えさせられる言葉ばかりだった。
 
私が仕事に関する意見を述べたあと、社長さんは必ず「〇〇さんはどうしたい?」と繰り返し聞く人だった。今思えば、私は周りの人の意見や状況に影響されがちで、自分の意思ではなく、なんとなくこうした方がいいだろうという意見を言っていたんだと思う。だから「いろんな理由があるのはわかったけど、あなたはどう思う?」と、私の考えを聞かれていた。
 
私は戸惑った。

今まで自分がどうしたいかなんて、ろくに考えたことがなかった。私はどうしたいんだろう?私はどう思っているんだろう?ずっと頭で繰り返し考え続けていた。
 
繰り返し聞かれていくうちに、私は少しずつまっさらな自分の意見を話すようになった。そして社長さんは積極的に私の意見を取り入れた。新卒でなんのスキルも持っていない私の意見。そんなものを取り入れて、本当に大丈夫なんだろうか、とハラハラした気持ちが半分。こんな私の意見でも採用してくれるんだ、と嬉しい気持ちが半分。私は徐々に自分の考えや思いに自信を持てるようになった。
 
どんなことがあっても、どんな理由があっても、必ず自分はどう思うのか、を考える癖がついた。私は、自分の心の声に従うことの大切さを学んだ。
 
今はその会社では働いていない。それでも今も私は自分の心の声を見失わずに生きている。気を抜くと、すぐ他人の意見に影響されて、環境のしがらみのせいにして、自分の意見を蔑ろにしてしまう。
 
そんなときに蘇るのは、社長さんの「〇〇さんはどうしたい?」の声。私は一旦、立ち止まって、今、自分はどうしたいんだろう?と考えることができるようになっている。
 
悲しい別れ方ではあったけれど、私は約1年と少しで、大きなものをもらったんだと思う。
 
こんなふうに自由に生きていいのだ。
 
自分だけの好きなものを大切にして生きていく人たちは、こんなに楽しそうなんだ。
 
私にも、心の声が存在することを教えてくれた。
 
心の声の聞き方を教えてくれた。
 
私が大切にしていきたいものを肯定してくれた。
 
私はこのままでいいんだと伝えてくれた。
 
たった1年ちょっとの関わりで、ここまで心に愛すべき傷跡を残していく出会いがあるのだと、私は知ることができた。
 
あの変わった夫婦に出会っていなければ、きっと今も社会の目を気にしながら、敷かれたレールの上を歩み続けて、窮屈な毎日を過ごしていたのかもしれない。自分を殺しながら、息を潜めて生きていたのかもしれない。
 
傷つけられたことも、もちろん忘れないけれど、間違いなく私を豊かにしてくれた日々に、感謝を。

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