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自己嫌悪と自虐

うつ病が酷くなる数ヶ月前から、自己嫌悪が激しくなっていました。
リーダーシップのない、思考力のない、甲斐性のない、融通の効かない、優柔不断な、察しの悪い…
そんな自分を何度憎み、嫌ったか数え切れません。

大抵自己嫌悪は理想の自分と比較した時に、劣っている自分(ありのままの自分)がイヤになることだと思ってました。
だから自分そのものを受け入れられるよう努力してみましたが、虚しくなるばかりでした…
「こんな誰もが簡単にできていることすら自分はできないんだ!」とより一層自己嫌悪は悪化をたどりました。

そもそも私の自己嫌悪は「こんなみっともない自分なんてイヤだ!」といった生半可な気持ちではなかったのです。
自分が殴って蹴ってぶっ殺したいほど苛立たしい存在に思えるほど強い念だったのです(乱暴な表現ですみません)。

自己嫌悪は劣等感の亜種みたいなものと考えます。
どちらも自分に対して感じる感情ですが、自己嫌悪は劣等感と違って自分に対する憤りや攻撃性が生じます。
腹立たしさが耐えきれなくなると自虐的な思考や言動が目立つようになると感じます。

振り返ってみると、あまりにも激しい自己嫌悪を持った時に、私は自虐的な内容の文を書き連ねていました。どの内容も「自分は生まれるべきでない社会のクズ」といった強烈な内容でした。
精神科の診察で自虐思考をぶちまけた時に、担当の精神科医から「自分を刺すようなそういう言葉を言うのはやめませんか?」と言われました。おそらく相当どキツイ内容だったのでしょう。

自己嫌悪はとても恐ろしいこころの問題です。

nirvanaの未収録曲“I hate myself and I want to die”のように最悪は自殺に発展することもあり得ると思います。私が自殺しようとする前に書いた日記も「自分を刺すような言葉」で溢れかえっていました。

とても一人で克服できる問題ではないです。

家族や友人が「それでも私はあなたのことが大切!大好きだよ!」と根気強く伝え続けてやっと回復へのスタートを切るのです。
自殺を考え、失敗した後、私の母から「どんな人であろうとアンタは大切なの!」と言われ、私は自己嫌悪からの回復に向き合いました。

自己嫌悪や自虐思考は裏を返せば「誰か私の存在を認めて」という強い念なのでしょう。多くは幼少期の親子関係がうまくいかなかったため自分の存在を認められなくなったのではと考えられます。
ですから「あなたは大切な人」という思いを伝えることは、その人の存在を無条件で肯定することになります。

ただ、今の社会ではどんな人も無条件で肯定するということ難しくなったように感じます。
社会の円滑化に伴い、より一層些細なミスも許されなくなってきました。
真面目な人や自分の為ではなく社会(他人)の為に生きる人たちにとって、自己嫌悪を増幅しかねないのではと感じます。

私の願いは、たくさんの人に少しでもこころの問題に関心を持ってもらうことです。 そして、こころの問題で苦しむ多くの人が癒される時代が来ることでもあります。 もし応援していただけるのであれば、サポートもよろしくお願いします。