文字の先にあるもの
小説を読んでいたり、SNSを眺めていると、ふと浮かぶことがある。
文字の先にあるものってなんだろうなって。
おやおや、そんな不思議なことを考えてどうしたんだい?とか思われるかもしれないけれど、文章を読んでいたり、文字だけを追っていると文字の先にある感情や動きみたいなものがあるような気がしてきて仕方ない。
自分の感情の波だったり、相手の感情の波だったり、そのときの心の調子もあるんだろうけれど。
文字を読むということは相手のことを想像するということでもあって、少なからず相手が話している姿を想像したりする。
物語に関してはその人の感情や心を読みたくなる。
この人はどういった感情によって話しているのか。どういった感情を文字にのせているのか、と。
自分だけの感覚なのかわからないけれど、文字を追っていると温度みたいなものを感じることがある。温度というよりか、相手の感情なのかなんなのか。
そんなものを感じるときがある。ないときはない。それは断言しておく。
なぜ、そうなるのかはわからないけれど、そうなるときがある。
もちろん、勘違いするときもある(しつこい)
でも、まあ、当たってるときもあるのでそういうのを読み解く能力が多少あるのかなーとか考えるときもある(自惚れである)
なんかそんなようなことを考え出してたら、SNSでつぶやくということを忘れてしまった。
というか、書く言葉が浮かばない。いや、あるのかもしれないけれどSNSという世界の中では表面に浮かび上がるものとして文字を書かなくなった。
ちなみにTwitterはチラチラ見ております。
沢山の文字が浮かぶ世界で言葉は時として優しく冷たくもある。
言葉というもの自体が、とても温かい言葉から、とても冷たい言葉まで様々あるから。
その言葉の先にあるものが見え隠れするから。
だから、言葉というものは慎重に扱わなければいけないのだが、それがとても難しい。
話すにしても、書くにしても、だ。
話すということは他者に理解を求めやすいのかもしれないからまだマシなのかもしれないけど、文字というのは特に。
文字、文面だけを見ているだけではわからない。
だからこそ、その先にあるものを突き詰めていきたいなって思ったり思わなかったり。
自分が話す文字というのもそうで、その先にある浮かび上がるものを乗せられたらいいなと思うし、相手の文字や言葉の先にあるものを受け取って感じられたらいいなって。
なんとなく、そう思う。
あっ、攻撃性を含むような相手を傷つけるような言葉はバッサリ切り捨てるので。
そこまで善人ではないし、聖人君子になるつもりもないから。
自分にとって必要な言葉や文字の先にあるものを感じられるようにね。
そんなこんなを考えてると文字って面白いよなってなる。
文字の先に見えるものを、人は受け取って、やりとりを繰り返したりするのかもしれないから。
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