今年もやってきました。誕生日。

 今年も無事に誕生日を迎えることができ、齢を重ねることができました。
 去年も沢山の人にメッセージ等いただきまして、本当に嬉しかったです。今年もお祝いのメッセージ等、とても嬉しかったです。
 歳を重ねるごとに人との付き合いって薄れていくのかなとか、狭くなっていくのかな、なんて考えたこともありましたが、オタクやったりバンドのライブ行ったりで今年も沢山の人と知り合えました。知り合ってくれた人、いっしょに楽しく過ごしてくれる人には感謝しかないです。
 道で偶然に出会ったら龍角散投げつけたいほどに感謝しています。

 こんなにも沢山の人と楽しく過ごせるようになるなんて、昔の自分からしたら考えられないことだなーと、しみじみ思ってます。
 何故なら、根本的に自分という人間は冷たくて根暗な生物だと思っているから。
 って言うと信じてもらえません。何故でしょうか?
 ワタシハアカルクナイヨ。トテモトテモ暗い土の中から生まれてきたんだよ?っていうふうに前の会社の後輩に言ったら、即否定されたので肩パンしました。
 さて、それでも疑ってるやつ。全力の肩パンくらわすからな?
 っていうのは置いといて。
 人間として、明るくあったり暗くあったりと、その両方を経験してきました。経験してきたというほどではないのかもしれないけれど。

 昔々のある時期、人間というモノと喋りたくなくて、ひきこもってたくらいに「他人」が嫌いでした。家族ですら受け入れることができなかった。誰とも喋りたくなくて『暗い部屋で1人、テレビはつけたまま』という歌詞のまんまの状態でいたこともあったので、イエローモンキーのJAMはオレの大好きな曲です。
 話がそれました。そもそも逸れてるのかもわかってないし、何も考えずにこのノートを書いてます。誰か助けてください。

 他人が嫌いで見下してたはずのオレが今こうして人に優しくできるのは、人から受けた「冷たさ」と「温かさ」があったからだと思ってます。
冷たさを知らなければ温かくなれないし、温かさを知らなければ、冷たさの基準がわからないから。
 漠然としてるけれど、そう感じてます。
 自分の優しさはよくわからないけれど、心の何処かで優しくありたいと思ってるから優しくなれたり、自分の中にある「冷たさ」を知ってるからこそ、優しくなるのかもしれないなと。そんなことを今日考えてました。ええ、もちろん仕事もそれなりに(?)やってます。

 日々、重なっていく中で人はいつか死んでしまう。それは変わらない事実だけど。
 重なっていく日々が増えて、沢山の人に出会って、今の自分が歩いていられるのなら、それは幸せです。
 うまく行かない日もうまくいく日もある。どちらにしても、周りの人達がいてくれて成立するもんです。
 なので「たかゆきン」という人間に出会ってくれて、ありがとう。皆様と出会えて人生充実してます。
 まだまだ生きて、御守ミコを守っていくぜ…。

 ってな感じで気ままに書いてみました。
 書き出すとたまーに言葉が止まらなくなるときあるけど、自分に陶酔してるみたいで良いね(良くない)

 さてさて、長くなりましたが今年も誕生日をお祝いしてくださり、誠に感謝。
 今年も皆で楽しく過ごそうな‼️

 


 

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