誕生日の感謝を書いてみた。
芥川龍之介生誕おめでとうございます。ということで3月1日です。こんばんは、僕はいつでも元気です。
芥川龍之介の誕生日でもある本日、自分の誕生日も無事迎えられることができた。素敵な文豪と同じ誕生日というものを誇らしく思うと同時に誕生日というものは他人のもののように見ている自分がいた。粛々と始まり、粛々と終わる。そんな一日だと。
捻くれていると言われれば、そうなのかもしれないけど特に捻くれている訳でもなく、自分に対しては「生まれた日」というものなだけに感じているから。
昔から、大勢の人に祝われるということがほぼほぼなかったので、現在SNSが発達して、大きな広がりを見せる世界の中で、知り合った人達からお祝いのメッセージをいただけるようになったことは嬉しいし、とてもビックリしているし、照れるし恥ずかしいという気持ちもある。
何よりも感謝の気持ちが大きくて、どうやって言葉に落とし込めようかとか色々考えてはいるけれど、やはり一番伝えなきゃいけない言葉というものは「ありがとう」なんだろうなと思い、一人一人に「ありがとう」を伝えた。
本当は「ありがとう」という言葉以上の言葉を生み出して、一人一人にその言葉を返していきたいけれど、そんな神様みたいなことはできないので「ありがとう」と伝えるしかない。それがもどかしくもあるが、言葉というのは思いを乗せて伝えるものなので、それでもいいんだとも感じる。
それぞれ伝えてくれる言葉に対して「ありがとう」という気持ちは一つ一つ、その人に伝えたいものであるから、一つとして同じものはないんだろうしね。
何十回と繰り返してきた我が誕生日ではありますが、今年も何事もなく迎えられて良かったな。むしろ、充実した日々だったな…。
色々な人達と知り合って、仲良くさせてもらってることがその証拠なんだよね。
生まれてきたこと、それ自体に対して純粋な感謝と、お祝いしてくれる人達一人一人の「おめでとう」と言ってくれる気持ちに対して、大きな感謝を。
おめでとうと言ってくれる一人一人の言葉がとても温かくて嬉しかったです。
ええ、言われるたびにニヤニヤしてました。色んな形で言葉にしてもらえることはいいことだ。
心の中がジワジワと温かくなる。
人の言葉は誰かを傷付ける凶器にもなるし、誰かの心を壊す怖さもある。
けれど、誰かの心の壁を壊していける武器にもなる。誰かの心に寄り添う優しさにもなるし、誰かの心を守る盾にもなる。
言葉には気持ちがのるからこそ、今年も大切にしていけたらいいなって。
目標なんて大層なものはまだ考えてはいないけど、これからも自分の言葉で、好きな人達に大切なことを伝えていけるようにやっていきたい。
好きな人達に「好き」では伝えきれないほどの想いをのせて。
何よりも自分が好きと思えるものを大切にして。
楽しく笑っていこう。たまに暗くなったり泣いたとしても。
最後に笑えたなら、ほんでいいしね!!
もう一度言わせてください。
ありがとう、皆様のお祝いのおかげで今日一日がとても良い日となりました。
一人一人にメッセージは返信したはずですが、何か言葉として、文章として、残させてもらいます。
自分自身も見返して、いつでも取り出せるように。
うん、こんな感じで終わろうか。書いてて恥ずかしいという気持ちが大きいけれど、大切なことなのでね。
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