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好きnote 32 「思い出」

思い出が好きって変な表現な気がする。

好きというより何より大切だなぁって最近しみじみ感じ入りまして、とても文章が書きたくなったのです。

この何か月か、やたらと20年前の自分や当時の出来事がちらついて不思議だったんだけど、それが何でか、何となくだけど、わかった気がする。

忘れられない思い出があるってことが、人生にとってとても幸せな財産なるということが、急に理解できた。

良い思い出も、嫌な思い出も、何というかすごく心が揺さぶられるような、ずっと忘れられない思い出があるって、めちゃくちゃ尊いことなんだなぁ。

そんな風に感じたのは、20年前に自分が最悪だと思っていたことが、ある日、急に反転したように感じたから。ずっと嫌な思い出だと思っていたことが、何か急に良い思い出になった。何でなのかはわからないけど。

私が思い込んでたことが大きな間違いだと急に気づいて、相手の人を責めてばかりいたけど、こんなことも、あんなこともしれくれたり、伝えてくれたのに、私は何も見えてなかったなぁと、急にわかったというか悟ったというか、何かハッとしたんだ。

そう感じ入った途端に、悲しい思い出だったものが、何だか心温まる愛にあふれた思い出に変わった。現実にどうだったかはわからない。その思い出の中にある相手が本当はどんな気持ちだったのかもわからないし、心温まる愛にあふれた思い出なんかじゃないかもしれない。だけど、私の中の受け止め方、とらえ方が、何でか急にガラっと変わった。すごく不思議だけど。

そう思わされる出来事があったとか、誰かが教えてくれたとかでもなく、何だか急に。こういうのって何なんでしょうね。誰か同じ体験した人いないかなぁ。

その不思議な沸き上がる思いのままに豊原エスさんの詩の講座に向かった。私が感じたその気持ちや思いを伝えたいけど、はっきりと具体的には言いたくなくて、もっと大切に心の中にしまってあたためておきたいけど、溢れる気持ちをそのままにすることもできないから詩にしたくなった。

なかなか言葉にできなかったので、詩の講座当日、京都へ向かう電車の中でレポート用紙に何篇かの詩を書いて、そこから「これ」と思ったものを持参した便箋に清書した。

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以前の私は、自分が感じたことや面白かった出来事を何でも文章にして書けばいいと思っていたところがある。思った瞬間、その時を逃さずに書きたいと思っていた。でも何ていうのかな、自分の胸の中に大切にあたためたり、言葉にするのに時間をかけて大切に扱いたいと思ったり、人に伝えたい気持ちもあるけど、自分の胸の中に大切にしまって味わいたいと思えるようになった。説明しなくても、わかりやすくなくてもよくて、ただ私がわかってることが大事な気がする。そうじゃなかった時は、たくさんの言葉を書いても、本当に思ったことは何一つ言えてなかった気がする。ただ「悲しい」というだけの気持ちなのに、自分を守る為にたくさんの言葉を使って自分を傷つけないようにしたりしてただけな気がする。そんな話を自作の詩の朗読とともに詩の講座に集まった人たちに話した。

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話を聞いていたエスちゃんが「よくさぁ、過去は変えられへんって言う人いるけどさ、過去って変えれるんよな。こんな風に自分の受け取り方や見方が変われば過去って変わっていくねん。過去が変えられへんなんて嘘やんな」って言ってくれてうれしかった。本当にそうで、すごくどんよりして見えたものが、すごくキラキラしたものにすっかり変わってしまったのだよ。


でも、よく考えたら私の中で最悪の思い出が良い思い出に変わったことは何度かあった。

結婚式場で働こうと面接に行って採用された時、当時好きだった人がそういえば近々結婚すると言ってたなぁと思ってどこの式場か聞いたら、私が採用された結婚式場だった。「それまでことごとく面接で落ちまくる中、こんな素敵なところは私じゃ無理だろうとダメ元で受けて、やっとのことで採用されたのに何でそんな試練を与えられなあかんねん!」と腹が立った。辞退しようか思ったけど、辞めるにしても一度出社してから決めようと出勤した初日、その会社の企業理念の「UNHAPPYをHAPPYに!」という言葉が社内の至るところに貼ってあり、「これはお告げとしか思えない。もう観念して、この試練を乗り越えるしかない!」と強く思った。そして、「どんなに失敗したり落ち込んでも、その結婚式を見届けるまでは辞めない!」と心に決めた。そんなん相手側だったらめっちゃ怖い。むしろホラー。だけど私は本気だった。「この結婚式を見届けるまでは!!」と、むしろそれを励みにがんばった。打ち合わせや前撮りに来た姿を見ては心の中では動揺してるけど誰にもばれずに業務として笑顔で対応する自分を誇らしく思ったり、その帰り道に号泣しながら「その日までは!」と思って鼓舞する自分が好きだった。昭和のスポ根漫画みたいやし、すごいナルシストだけど…。ただ当日どんな感情になるのかなぁ…という怖さはあった。

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そんな不安とは裏腹に、迎えた当日はとても心が静かだった。そして、結婚するふたりをただの一スタッフとして穏やかであたたかな気持ちで見送り、素直な気持ちで「おめでとうございます」と頭をしっかり下げられた時に、すごい自信が私に芽生えた。それまで自分にサービス業なんて無理なんじゃないか?と思っていた私が立派にサービス業をこなせる自分になれたという確信があり、その日までは自分の判断に自信が持てなかったのが、先輩に教わったことと違う判断を自分がしても自信を持ってしっかり対応できるようになった。

余談だけど、その結婚式の二次会は私が面接受けていた中で結婚式場以外で唯一採用されていたカフェで、どちらを選んでもこれは避けられないことだったんだなぁと驚いた。人生には避けられないことがあるんだと、その時強く感じたし、一見最悪の出来事のようで、私にとって最高の出来事になる体験はそこでしていた。

20年前と違うのは、最悪だと思うことでも自分が受け入れて乗り越えようと謙虚な気持ちになれていたか、そうは思えずに自分が傷つきたくなくて逃げていたかの違いだと思う。20年前は自分が傷つきたくなくて逃げて、全部人のせいにしたことで自分も傷ついたのだけど、あんなに心が動く人に出会えたことが、本当はすごく幸せだったし、当時の私には理解できてなかったけど、私に対する心遣いや優しさはいろんな言葉や行動は見せてくれていたのに、私が思ってたことと違うから悲しんだり怒ったりしてただけだ。


詩の講座の後、20年前に一緒に歩いた京都の道を少し歩いてみた。いろいろ案内してくれたなぁ。いくらがキラキラして綺麗だと言っていた。私の知らない名前の日本酒を買っていた。小汚いお好み焼き屋さんはもうなかった。一緒に入った喫茶店はまだあったけど閉店時間を迎えて閉まっていた。

もしその本人がこれ読んだらめちゃくちゃ怖いかも知れないと思うけど、万が一読んでいたら、私じゃダメだろうなと思っていた好きな人と一緒に時間を過ごせた思い出があるってすごく幸せなだなぁと今は思っているよ。

若い頃は、自分の願いが叶うこととか、恋愛なら成就することだけが価値があると信じていたけど、そうじゃないんだね。願いが叶うとか成就するとかよりも、その時に感じた大切な思い出があること、心を揺さぶられた強い感情があったこと、そういうことが実はすごく大切なんだって、今は思えます。

人が死ぬ時にあの世に持って行けるのは思い出だけって言うけど、良い思い出ばかりを残そうなんてしなくてよくて、悪いと思ってた思い出にも大切な価値があって、それが幸せに転じられることを知れて何だかすごくうれしかった。本当にうれしかったんだ。何だか今、ずっと幸せな気持ちが溢れてくるんだよ。不思議なものだね。


思い出は好きって言葉では片づけられない、自分の心の中にしか持てない大切なもの。どうか良い思い出も悪い思い出も大切に。その時はわからなくても、いつかわかることもあるという希望を胸に、これからも生きていく糧になる素敵なものだって、すごく伝えたくなったのでした。



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