【感想】『放浪息子』を一気読みした。

なんて残酷で悲しい物語だろう、と思ってしまった。
誰も悪くないのにね。

ぼくはね ずっと女の子になりたいと思ってた
そしたら女の子の服が堂々と着られるのになって
たぶん欲しいのは「許される箱」だった
うしろ指をさされない箱
親に叱られない箱
学校で悪目立ちしない箱
やりすごせる箱
ぼくにはその箱が与えられなかったが
A氏が言うところの「見栄えのする箱」であるようだ
ぼくは恵まれたいびつな箱である

志村貴子『放浪息子』15巻

これを読んだあんなちゃんは「シュウがもうすぐ死んじゃうみたいな気がしたの 死んじゃやだ」と言って泣いた。自分も泣いた。

二鳥くんがこれを遺書として書いたつもりはなかったかもしれないけど、遺書にも見えるのは確かだ。
これを読んで泣いてくれる人がいる彼は幸せだなと心から思った。もしかしたら、そうでなかったら彼は死んでいたのかもしれないとも。

志村貴子『放浪息子』は、女の子になりたい男の子の二鳥修一の物語である。
この物語はもう一人の主人公、男の子になりた「かった」女の子の高槻よしのとの一種の別れを描いて、すっと消えていくように収束していく。
この最後がどうしようもなく悲しい、寂しい終わりに見えるのは、二鳥くんが死にはしないまでも、どこか遠くに行ってしまうように感じるからだと思う。
二鳥くんはそれを自ら望んで行ったのだし、周りの誰もそれを止めない。だけど、どうしようもなく悲しいし、寂しい。

実際かわいかったし、女の子のようにかわいい服を着たかった。それは悪いことではないはずだけど、世の中はそれを許さなかったし、二鳥くんの身体もそれを許さなくなっていった(志村貴子は二鳥くんの身体がだんだん男の身体になっていくのをなんとも誠実に、残酷に描いている)。
誰も悪くなくても、世の中は「そう」だし、人間の身体は「そう」なのだ。

この漫画は10年前の漫画なので、トランスジェンダーという最近はよく目にする言葉を使わない。
描かれたのが今だったらどうなっただろうかと考えるけど、実際のところいまだに世の中はそのままだし、人間の肉体もそのままだ。
でも、変わったとしても、二鳥くんが望むような人生を送れるようになるだろうか、と思う。
社会や制度は変わるかもしれないけど、人間の肉体はそうそう変えられない。人間の心の中も。二鳥くんはどうしようもなく「男」の身体に成長していくし、それに伴って、人からの見られ方も変わっていく。それは読者であっても同じだろう。

10年前に読んだときは、ひたすら千葉さん可愛いみたいなことを言っていた。千葉さんと二鳥くんが結ばれたらよかったのになーとか思っていた。
でも、今回はそんな呑気なことは考えていられなかった。これが二鳥修一という一人の人生の問題だからだ。
二鳥くんはたくさんの人に愛されているし、嫌いだった男の子とも和解していくし、自分の行く道に自分で納得している。
きっと誰も悪くない。
だからこんなにも悲しいのかもしれない。



(追記)
千葉さんに心酔していた自分が今は二鳥くんの相手があんなちゃんで本当に良かったと思っている。
これも成長なのかなぁ。


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