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峯本純と申します。

みなさまはじめまして。峯本です。
Twitterで発信し始めて数ヶ月。おかげさまでフォロワーも増えてきまして、noteにも注力していきたいなと思います。まずは純粋に私峯本につきまして、自己紹介形式で皆様に知っていただけると幸いかなと思っております。

色々と事情があり、身バレしてはいけない状況に追い込まれておりまして、とはいえSNSでの発信と言えど、リアルな部分が垣間見えないと面白くないなと考えておりますので、今後ともどうかよろしくお願いいたします。

私、峯本は、現在30過ぎの大阪在住の男です。

生まれは京都府京都市。両親は共働きで、特段の不自由なく幼少期は生活できていたような記憶があります。2歳上に兄がいて、某広告代理店にて勤務しております。2つ下には妹がおりまして、ブライダル系の仕事をしています。間に挟まれた私峯本は、子どもの頃はよく兄弟喧嘩もしたり、友達と青春したり、どこにでもいるような、そんなタイプだったと思います。勉強もそこそこで、体を動かすのが好きだったような記憶があります。
ただ今になって繋がることがあるとすれば、先日作者が亡くなりましたが、「遊戯王」という漫画・アニメ・カードゲームが流行り、その遊戯王カードを自分で買って集めたり、習い事での人脈を活かして仕入れたりしたものを売り捌いて、また仕入れて利益を上げて、というのを繰り返してい時期があり、商売人気質は当時から発揮していたのもしれません。ポケモンのゲームでも、ヒトカゲやフシギダネ・ゼニガメ、ピカチュウをトレードで売り捌いてましたね。
両親は普通の会社員だったのですが、「あんたはどうしたいの?」「何がやりたいの?」というように、母親からはリクルートばりの主体性を意識した問いかけを常日頃からされてはいました。

中学、高校は地元の公立へ進み、部活メインの生活でした。人より成長スピードが早く、体も大きいほうで、ケンカも負けたことはなかったですね。校内カーストでは上位をとれていたと記憶しています。恋愛も順調で、初体験は中学2年の終わりの春休み。卒業式を終えた一つ上の先輩の女性とでした。良くしてくれていた部活の先輩の元カノだったのですが、色々と相談を受けてる中で、告白されて付き合うようになったんですよね。関西ローカルでやっていた「夜美女」、「ガールズファイル」というテレビ番組、モザイクだらけのAV等しか参考になるものがない中、ただ本能に身を任せた初体験だったのを記憶しています。なんだか大人になれた気分でしたね。
高校に進んでからも部活メインの生活は変わらず。中学のときの彼女とは別れ、同じ高校・隣町の高校、何人かの女性とお付き合いもさせていただきましたね。当時はLINEなんかなく、ガラケーで毎日女の子とメールをしてましたね。

今振り返ると、10代のときって、特段何かを頑張ったという経験はなく、もちろん部活はそれなりにやってましたが、物凄く努力したかと言えばそうではない、勉強もそれなり、恋愛も思いのほかうまくいってしまう、楽しいけど、人生ってこんな調子で進んでいくのかなと、どこか物悲しい感じになったのを覚えています。
高校3年生のときに大好きだった祖父を亡くしました。パワフルな人で絶対敵わない人。初体験の話を赤裸々に祖父には打ち明ける、そのくらい信頼してたし大好きでしたね。祖父の死が、何か自分に大きな変化を与えてくれましたね。人生一度きりなんだと。もっと本気で向き合わないといけない、そう思わせてくれました。

ずっとスポーツは好きで、それなりには向き合ってきたつもりでしたが、どこか半端な感じがしていた自分。高校3年のときに、大学に進学しても部活を続けて、納得いくまでやり切ろう、そう思いました。祖父からのメッセージを受け取ったかのように。

地元関西にある私立大学に進学します。体育会で4年間、部活に真剣に向き合いました。多くのものを犠牲にしましたが、あの時間は、今の自分の礎になっています。怪我等もあり、大学までで競技者人生を終えることを決意しました。1人枕を濡らしたのを覚えています。そうして就活の道に進んでいきます。同期達は皆んな早くから動いていたのもあって、かなり焦ってはいましたが、人一倍スポーツを通じてPDCAのサイクルを回してきた自信はありましたし、チームを統率するために思考し、自分なりの言葉で表現することを意識して学生生活を送ってきたというのもあり、「自分ならきっとやれる。」という意志を持っていたような状態でしたね。とにかく就活難易度が高い企業から内定をもらう、というゴール設定をして、戦略を練りつつtodoに落とし込んでいきました。結局就活は、相対的に自分を優秀に見せるゲームでしかないので、緻密に戦略を立ててやるべきことを積み上げれば、面接でのパフォーマンスは向上するものだと思います。
特段やりたいこともなく、難易度が高いとされていた総合商社から内定を貰えたので、そちらに決めました。

入社してからは初めての東京暮らしです。
誇張なしに、めちゃくちゃセックスしてましたね。
深くは言えませんが、航空機にまつわる仕事をしていたのですが、結構穏やかな人も多い部署で、仕事については毎日ご機嫌にこなすことができていました。仕事でのダメージも少なく、終わったら先輩と銀座へGo、みたいな、関西人にはたまらん生活を日々送っていましたね。仕事のスキルといえば、身につくのは社内調整力ばかり。のちに痛い目をみるのですが、当時はそんなこと気にもかけず、とにかく女を狩ることに特化した生活をしていました。セフレだった女の子とノリで結婚したのが社会人3年目の時ですね。11ヶ月で離婚しました。

「オレ、バツイチかぁ。」と思いながら、ふと感じたのは、どこか高校3年生の時と似た感覚。オレってこのままでいいのかなと。世間的に見れば商社マン、給与もそこそこ、というか、スキルに見合わない年収に仕上がってしまっていました。そんな自分が、なんだか怖くなってきたんですよね。「10代のときと同じじゃねぇか?」って。自分のスキル、自分の仕事に真剣に向き合わないといけないなと。もっとチャレンジングな環境で自分を追い込みたい、そうして転職することを決意したんですよね。

行き着いたのが、外資系のIT企業でのセールス。
コンサルなんか行ける脳ミソじゃありませんからね。転職活動していた時期に、父親が病気で倒れ、もう長くはないことを聞かされました。その折り、なんだか関西に戻ってきたくなって、関西勤務という条件も付与した経緯です。

転職して以降はとにかくガムシャラでしたね。
誇張なしに仕事し過ぎてゲロ吐きました。
酒を断ち、女を断ち、ただ強靭な精神は強靭な体に宿ると信じ、家⇨職場⇨ジム、という生活を続けました。あの時のガムシャラな自分が、今の自分を形作ってくれています。

現在も引き続き大阪に住み、関西から日本を元気に、という気概を持って、仕事に恋に、何事も全力で生きるということをモットーに日々奮闘しています。

気付いたら3,000文字近くになってしまいましたが、これからも、ハイスペに憧れながらも、結局は泥臭くガムシャラに前向いていくしかないなということに気づいたサラリーマンの生き様を発信していこうと思いますので、皆さまどうかよろしくお願いいたします。

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