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203万円で買った1ヶ月の愛(1)


心の隙間に滑り込んだ恋

わたしは抵抗できない恋に落ちた。

彼とわたしはネット上で知り合った。
北京から来たという、非常に紳士的な男性だった。
彼とのお喋りはいつも楽しかった。
わたしは中国語の単語の使い分けについて尋ねたり、会いたいから一緒に旅行に行こうという話をしていた。

3、4日目の晩、わたしは非常に不安を感じていた。この、いつ会えるのかわからない外国人との関係を続けることが不安で堪らなかった。
わたしは別れを告げようとした。

すると彼はこう言った。

「僕は全ての出会いを大切にしている。でも相手が出会いを大切にしないなら、別れることもある。僕は好きなものは奪いに行く。手に入れば大切にするし、すれ違ってしまったなら忘れる。こういう一つ一つの経験が自分を成長させてくれる」

彼は穏やかに、わたしに言い聞かせるように、語り続けた。

「君はたぶん、他人と関わる時に、悪い印象は持たれないはずだ。結構仲良くやっていけるんだろうと思う。だけど悩み事があってもそれを他人に言おうとはしない。知られることを嫌がっている」
この指摘は非常に的確だった。わたしとの会話のどこで見抜いたんだこんなこと、と思った。
そしてこれは、20歳の時に好きだった人がわたしに言ったのと同じ内容だった。その人は既に亡くなっている。わたしにとって苦しい思い出だった。長らく忘れていたものを思い起こした。

「それに君は、他人からどう思われるのかを気にしているし、好かれたいと思っている。君は自分が他人に受け入れられているとか、安全だと感じる、そういう感覚が全然ない。大切な人が自分のもとから去ってしまうことを恐れている。だから君は、僕が君から離れてしまう前に、自分から離れることを選んだ」
そのとおりだ。好きな人がいても自分で一線を引き、決して踏み込まないようにしていた。
「なんでそんなことわかるの?」とわたしは尋ねた。
「僕は考えることが好きなんだ。それに、僕は君とずっと一緒にいたいから、もちろん君のことは理解してる」と彼は答えた。そして続けた。「君は強がっている。だけど僕にはわかる。君の内側はとても柔らかくて脆いんだ。そしてその内側に触れられることを怖がっている」
わたしは「一時でもいいからそばにいてもらえますか」と言ったことがあった。その時に察したのだろう。
「君もいつかわかると思う。君が欲しいのは、ずっとそばにいてくれる人なんだ。別に毎日『愛してるよ』と言ってくれる人が欲しいわけじゃない。『いつもそばにいるよ』と言ってくれる人が欲しいんだ」
そのとおりだ。わたしは常に「あなたに会いたい」と言い続けていた。
そしてまた、母が亡くなったら天涯孤独になってしまうこと、帰る家を失うことを、ずっと恐れて生きてきた。

彼の一つひとつの言葉が、深々とわたしの心に刺さった。
わたしはこの人を失うことはできない。
20歳の時、わたしを理解してくれる人に出会った。だけどその人は亡くなってしまった。
今、こんなにわたしを理解し受け入れてくれる人を目の前にして、自ら去ることはできない。
彼がいなくなったら、わたしはきっと、もう二度とわたしを好きだと言ってくれる人には出会えない。
お願い
行かないで
そばにいて
わたしはこの人を、強く激しく、求めていた。

出会って2日目に、亡くなった元カノの話を泣きながら語る

わたしはこの男とどうやって知り合ったかをお話ししよう。

ネット上には、外国人同士が知り合うことのできる場所が存在する。外国語習得に励んでいる人なら恐らくご存知であろう有名なアプリだ。わたしは中国語を学ぶためにこのアプリを利用していた。

日本人女性の需要が高いらしく、一日10人近くの男性から声を掛けられる日もあった。わたしは彼らのプロフィールと写真を確認していたが、ほぼ全員無視していた。なぜなら、わたしは既に良い友人を得ていたので、これ以上交友関係を広げる理由がなかったからだ。語学のレベルを上げたい人は何十人もの人と交流するようだが、わたしは社交的な性格ではないので、数人の友人で満足していた。
更に言えば、わたしには3人のお気に入りがいた。一人は声がイケメン、一人は性格がイケメン、もう一人は顔がイケメンだった。これ以上何を望む必要があろうか。楽しい生活だなぁとウキウキしていた。

そのうちの一人は出会って2日目に泣きながら半生を語り始めた。

彼がわたしに声を掛けてきたのは土曜日だった。
わたしは早速プロフィールと写真を確認した。

彼の職業は、わたしの職業からかなり遠くて物珍しかった。
彼の写真は、もちろん最も映りのいいものを選んだのだろうが、印象がとても良かった。
わたしは、Tシャツ短パンかツナギという服装規定のない研究者の世界で育ち、実家は飲食店で、店で6年働いている間に出会ったスタッフや関連業者も庶民的な人々だった。
一方の彼は、上等のスーツを着こなし、クラシックな調度品を背景にし、わたし好みの知的で温和な顔つきだった。わたしはああいう上品な雰囲気の人を見慣れてなかった。
そして同い年。この点は重要だった。年齢の近い人のほうが気楽だから。

偽物の写真を使う人もいるので、わたしはその写真を完全に信じたわけではないが、この人となら話してもいいと思って返信した。
それから少しチャットした。彼は日本に住んでいるが日本語はほぼできない。彼は仕事で英語を使うので英語もできるが、レベルとしてはわたしのほうがややマシ。必然的に会話の主要言語が中国語となった。
会話していて、非常に紳士的で丁寧な人だと感じた。しかも聡明で気遣いができて、頭の回転が良かった。
悪くないと思ったが、夜遅かったので、早めに切り上げた。

明くる日の朝にわたしは彼に「昨日はありがとうございました。あなたと話して楽しかったです」というメッセージを送った。
しかし彼は毎週日曜日に用事があって出掛けており、彼から返信が来たのは午後だった。
彼は、わたしが送ったメッセージへの返信が遅れたことを丁重に詫びた。
わたしは答えた。
「そんなにかしこまらないでいいよ。ここは、おしゃべりして、語学の勉強をして、楽しく過ごす場所なんだから」
「ありがとう。君の中国語はとても上手だ。君が日本人だと知らない人はきっと、君を中国人だと誤解するだろうな」
「おおげさな。ほめすぎだよ」
「おおげさじゃない。君の中国語は本当に上手い」
「ありがとう」
「君が返信してくれて嬉しい。たくさんの人にメッセージを送ったけど、誰も返信してくれなかったんだ」
「え? そうなの?」
「そうだ」
まあそうだろうな、とわたしは思った。わたしも数え切れんくらい返信しないで無視してるし。
「ところで、今朝はどこに出掛けていたの?」とわたしは尋ねた。
彼は思いがけない場所を告げた。これはセンシティブな話題だと思った。突っ込んでいいのかわからず、かといって急に話題を変えるのもおかしいし、どうしようか迷っていたら、彼は勝手に泣きながら語り始めた。

曰く、10年前に天使のような心優しい女性に出会った。婚約して3年間を共に過ごした。結婚する前に彼女は病気になった。お金があれば治療できる病だったが、その当時の彼には経済力がなかった。そのために彼女は亡くなってしまった。彼女には日課があった。自分は今、その彼女の日課を今も彼女に代わって欠かさず行っている。

初対面なのにここまで曝け出されても、どう返事をしたらいいのか全くわからない。
それに、亡くなった婚約者をこんなに愛しているなら、わたしのような他の女が入り込む余地は全くない。職業といい見た目といい経歴といい、全くわたしに縁のない人だ。
とりあえず、「それはあなたにとってとても大切な思い出だと思う。そんな大切なことをわたしに打ち明けてくれて嬉しい」と返事をした。

それから何がどうなったのか覚えていないが、彼はLINE交換を求めてきた。
「なんでLINEなの? おしゃべりならここでできるでしょ?」
「いや、僕はこのアプリを普段使わないから、君と連絡を取りづらいんだ。LINEなら普段から使っているから、いつでも連絡を取れる」
わたしがどう抵抗しても彼の主張は揺るがなかった。彼がLINEのIDを見せてきたので、わたしはそれを自分のLINEに追加した。LINEで問題が起こってもブロックすれば良いだけだ。実際、わたしは過去に二人とLINE交換して二人ともブロックしている。
彼の話がどこまで本当なのかも証拠がないし、わたしは信じていなかった。ただ率直に言ってわたしは自分好みの男性と話すのが楽しいという、それだけのことだった。

プロポーズ

会話をLINEに切り替えた後も、彼は亡くなった婚約者の話をした。
「もう二度と失いたくない。いつか自分が本当に壊れてしまうんじゃないか怖くてしかたない」
そして、「始まる前に終わってしまうものはもう嫌だ」と言った。
随分センチメンタルかつロマンチックなことを言うなと、わたしは冷めた気持ちで話を聞いていた。

「君は結婚してないのか?」と彼は尋ねた。
「してない。この年齢でこの高学歴だと結婚は難しい」
「どうして難しいんだ?」
「日本人の男性は一般的に、高学歴の女性とは結婚したがらない。男性も高学歴じゃないと釣り合いが取れない。しかもわたしは若くないし、こういう女性と結婚したい日本人はいない」
実際にはわたしが気難しいから結婚できないのだが、そこは伏せて、表向きの説明をした。
すると彼はこう言った。
「僕は違う考えだけどな」
「そう?」
「君は中国に行きたい?」
「そうだなぁ、もし日本を出ることができるなら中国に行きたいな」
「結婚したい?」
「できたらいいよね」
「国際結婚でも構わない?」
「国籍は気にしないよ」
「僕は今年37歳だ」
「わたしも37歳だよ」
「僕は自分の另一半(片割れ、伴侶という意味)を探している」

わたしは另一半という言い方を知らなかったので、単純にロマンチックな表現だなと思った。これは直訳すると、2つ対になっているものの片方、あるいはもともと1つだったものの半分という意味だ。「自分の另一半」とは「自分の半身」という意味だと思った。
仲がいいとはいえない両親の結婚生活を見て育ち、わたし自身も異性関係がこんがらがっていた。そのわたしの願望として、自分の体の半分だというくらい大切にされてみたかった。

「另一半って、素敵な表現だね。中国語ではそういうふうに表現するんだね」
「そうだ」
「いいね。こういうの好きだな」

おもしろがっている場合ではない。
わたしはここで勘づくべきだったのだ。

次の瞬間、彼は次のような言葉を送ってきた。
「僕の另一半になってもらえませんか?」

どういうことだ?と思った。
自分の婚約者が亡くなって、悲しい思いをしたことを泣きながら語っていたのはあなたではなかったか?
もう二度と失いたくないと言ったのはあなたではなかったか?
それでなぜもう一度恋愛しようとするんだ?

だからわたしはこう言った。
「矛盾してない?」
「何が矛盾してるんだ。矛盾なんかない」
「あなたさっき、もう失いたくないって言ったでしょ。だったらどうしてわたしにそんなことを言うの?」
「失いたくないからこそ、大切にしたいんだ」

理屈が通っているのかいないのかわからないが、不意を突かれた。
わたしは、まともな男性と付き合った経験がない。まともな人は寄ってこなかったし、好きな人は亡くなってしまった。心の空白を埋めるのに都合の良い人としか関係を持ったことがない。わたしが一番まともだと感じたのは残念ながら人間ではなくAIのReplikaだった。わたしはReplikaに依存できるほど飢えている女である。彼がもしこの空白を埋めてくれるなら、一時でも欲しかった。

だから、「一時でもいいからそばにいてくれますか?」と言ってしまった。
しかし彼は、「一時では嫌だ」と言った。「そういうことをすると、僕に下心があるように見えてしまう。僕はそういうことはしたくない」
わたしは少し落胆した。それから、問いかけた。
「なんでわたしなの?」
「僕と同い年だし、君は高学歴だから、僕の子どもに良い学習環境を与えることができるだろう? それに、日本人女性は優しい人が多いから日本人女性と結婚しなさいって母に言われたんだ」
なんだそれ。
条件ばかり並べたてやがって。
思わず「つまらん」とわたしは言ってしまったが、彼は理解できないようだった。
「何がつまらないんだ?」
どう答えればいいんだ。わたしが返答に窮していると、彼は言った。
「まず普通の友達から始めよう。そして、時機が来たら、リアルで交際しよう」
その提案は至極まともだと思った。

しかし、2日目の時点でこの有り様である。
最も理解できないのは、会ったこともないのに唐突にプロポーズしてきたことだ。
会ったこともない相手と、ほんの一日だけ、文字でチャットしただけで、なぜ(?_?)
わからないことだらけのまま、関係が始まった。

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