「寂しさ」と生きる
20年間生きる中で、色んなことを経験的に理解してきた
・結局、卵かけご飯が一番美味しい
・冬は口開けて寝ると朝喉イガイガしがち
・調味料はなんだかんだ言って柚子胡椒が最強
・インスタのストーリーへの「いいね」は何の意味も持たない
・人って、みんな、ちょっぴり自己中
・「なんとなく」で家を出たら遅刻する
・やりたいことはやりたいし、やりたくないことはやりたくない
・人は、誰かの中に自分の存在を見ることで、生を実感する
・自分のこの怠惰な性格は、これまでたまたま上手く行ってるだけで、いつか必ず後悔する時がくる
・本は読んだら楽しいけど、読もうとする意思をちゃんと持たないと読まない
・ペイフォワードの優しさと思いやりが僕の生き方
・社会の矛盾に心をくじかれず、問題から目をそらさないのが、僕たちの責任
・思ってる以上に、人は人に関心が無い
・「えーそんなんあった気がする〜」は何も思い出してない証拠
・「うわ、これ謝るべきだな」と思ったら文脈気にせずちゃんと謝った方が良い
・コーヒーは、飲みすぎると手が震える
・みんな、SNSの裏で寂しさと辛さを抱えてる
・嘘をつくときは重要じゃない所に詳細を詰めればバレない
・誰かとの健康的じゃない関係性を指摘してくれる友達はマジ大事
・人の行動はその本人も理解していない動機による場合も多くあるから、合理的理由を求めて理解しようとすることは時間のムダ
・身体と同じように、心も「疲れる」
・会いたい人にはそう思った瞬間に連絡して会うべき
・お酒のおつまみ最強はあん肝と軟骨の唐揚げ
そして、最近やっぱりひしひしと感じるのは
寂しさには2種類、「自分一人で抱えるべきもの」と「誰かと一緒に居ることで乗り越えるもの」がある。
突如心の中に生まれて、一瞬でぶわわっと広がる「寂しさ」には色んなサインが隠れている。
自分一人でその寂しさと向き合い、その根っこを見つめることは、
自分が何を欲しているのか
自分が何をしたいのか
自分に何が足りないのか
などを知る良い機会になる。
そのために、感じていることを何とか言語化して手帳に思うままに書き込んでみる。するとそれまで自覚していなかった新たな「自分像」が浮かび上がってくる。それは生きる上で、もっと言えば「自分」という一生を共に生きる人間をより深く理解するためには、とても有意義な機会だと思う。
でもそればっかりでもよろしくない。自分一人ですべての寂しさを抱えるのはやっぱり無理があるからだ。
友達・家族・パートナー
色んな人間と自分が持つ共通部分を認識することで、人はその「寂しさ」をかき消すことが出来る。
あぁ、自分はいて良い存在なんだ。
そんな感じで、自分の存在を誰かを通じて再確認する事が心を救ってくれることもある。
でもやっぱり、常に誰かと共に乗り越えようとしていると、それはいずれただの「逃避」になる。
孤独と一人で向き合えないことほど、「孤独」なことは無い。
どちらかに偏り過ぎない。
時に自分で抱えて自省の機会とし、時に人と一緒に孤独を忘れ、乗り越える。
そんなバランスが大事なんだと、ここ1~2年の中で何となく理解してきた。
でもそれはあんまりうまくいく事の方が少ない。
誰かと寂しさを無理に共有しようとしても、何故かうまくいかなかったり、
大抵の「もやもや」は誰かに話すことですっきりするはずなのに、どこか落ち着かなかったり。
そこで、「あぁ、これは自分で抱えるべき方の孤独だったのか」と気が付く。
社会が誰かと時間を過ごすことを要請してくる今の時期、誰かの特に何も考えてない言動が乾燥でひび割れた心に引っかかる。
いかんいかん、忘れちゃいけない
人間はちょっぴり自己中だし、誰かの行動に「納得できる合理的理由」を求めるのは時間のムダなんだった。
圧倒的な大きさと暗さを持った「寂しさ」が
電車でぼーっとしてる時、
寝る直前、
誰かに「じゃあね~」と言った直後、
急に襲い掛かってくる。
たぶんこの気持ちは一生付き合っていかなきゃいけないものだから。
大事に、大切に。
向き合いながら、逃げながら。
それがも少し上手くなってから21歳を迎えたいな。
2023/12/21-22
Miniguchi
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