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森の奥深く、誰も来ないようなひっそりとした場所に、その湖はあった

湖は穏やかで、落ち葉がひらりと水面に触れるとそこから何輪もの花が咲き、大きく広がっていった

澄んだ湖は、森の生き物全てを受け入れた


蛙も、そのうちの一匹でその湖によく来ていた

湖を泳ぐのも、周りの石に腰かけてただ湖を眺めるのも、蛙はそのどちらも大好きだった

湖の持つ穏やかさには、眺めているだけで蛙の心を救う何かがあった

手足で水を掻き分けて湖を泳ぐ時、その滑らかさと湖の内包する無限に抱かれる実感に蛙の体は高揚した


ある時蛙が湖のそばで日向ぼっこをしていると、そこに一人の少年が近づいてきた

何の気なしに蛙が見ていると、少年はポケットから石を取り出して手に持った

蛙は暗くドロッとした不安に襲われた

何か、これまでとは違うことが起こるやも知れぬという予感が、蛙の体を内側から小さくした

少年は手に持った石を湖に向かって何個も投げ始めた

蛙は慌て、混乱した

蛙には理解できなかった

少年は「水切り」という湖との共同作業を楽しみ、水上を駆ける石と共に踊っているつもりなのだろうか

それとも単に、

投げ込まれた石が湖底の泥を起こし、湖が濁るのを観たいのだろうか

蛙には、少年が「自己存在の証明」を湖に及ぼされる自身の影響をもって達成しようとしている様に思えた

それでも、石によって跳ね、飛び散る湖の水は太陽の光を反射して美しく煌めいていた

その様子をみて、蛙は大きく動揺した

自分を落ち着かせたかったのか、蛙はふと近くを飛んでいた蠅に舌を素早く伸ばした

しかしその舌先は空を切り、蠅はこれまでの浮遊を続けていた

湖に少年が来たことによる緊張なのか、
いつの間にか隣に来ていた冬のせいなのか、
震えの原因はその時の蛙にはよく分からなかった


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