かみひこうき#8
おはこんばんにちは
お元気でしょうか~
お久しぶりでござんす
最近は、何か「あ、これ紙飛行機にして飛ばそ~」って思ったことがあっても、ラインとか電話でついつい話しちゃうので書くことがあんまり溜めれんくて、ずいぶん間が空いてしまいました。
さて、今日は家にいては何も集中できないので、久しぶりに大学に行ってやるべき作業をしてきました。
行きは暑すぎてバスに乗り、帰りは夕方で涼しかったので大学から駅まで歩きました。
帰りの道中、夕焼けによってオレンジ・ピンク・赤に染まる雲を、少しの間立ち止まって眺めました。そして、「きれいな雲に慣れて、こうして立ち止まらなくなったら大人なのかな~」なんて考えました。
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今日は、大学に向かう中で読んでいた、ニーチェの『道徳の系譜』の中でとっても印象的で考えさせられた箇所をご紹介しますね。(今日の内容は少し意味不かもしれない、頑張って伝える努力はするけども~)
なーんのこっちゃ!
って感じだけど、個人的にはこの箇所をとっても面白いなと思いながら読みました。
というのも、ここで彼が言いたいことって「人は体験に対してあくまで後から対応する形で意味づけをするのだ」と僕は解釈したからです。
なんでこれが僕の興味をそそったかというと、今回の写真の言葉と関係が出てきます。
留学を経験してから僕は、自分自身を客観視しながらある種の「気づき」を得ることが多くなりました。その「気づき」ってのが ”wow I’m gonna miss this moment” って感覚です。(以下、「ミスメモ感覚」)
誰かととっても楽しい時間を過ごしている中でふと急に我に返ったように、「あぁ、いつか、今この瞬間のことを思い出して恋しく思うんだろうな~」って感覚。
達観した脳みそが諸行無常さを突き付けてくるような寂しさと、「今」への愛おしさが混ざった複雑な感覚。
留学経験の中で楽しい毎日を過ごしながら、「ミスメモ感覚」とそれを自覚したうえで「じゃあ今を大切にしなきゃ!」という意気込み(義務感?)を持つようになりました。
こうして留学後も、「ミスメモ感覚」と「じゃあ今を焼き付けるぞ!」という意気込み(強迫観念?)はセットで僕の中に生まれるものになっていきました。
でもね、人間、ってか僕だけなのかもしれないけど、「今を焼き付けるぞ!」なんて気を張りながらその瞬間を楽しむことなんて無理なんだよね。
てか、そんな余計で打算的なこと考える暇もないくらいに楽しさに溢れている瞬間だからこそ、「ミスメモ感覚」が生まれる訳で。
だからこそ、「はぁ、ミスメモ感覚が出てきたところまでは認知できたのにちゃんとその瞬間を思った通り心に刻めなかったな」って後から落ち込んじゃうことがここ5年間で何度もありました。
そんな中で今日のニーチェの言葉に出会ったのです!!
彼のこの言葉は我々人間をあくまで体験に対する「対応者」として位置付けました。
要は、人間は何かしらの体験に対してその経験が終わってから初めて、自分の中での「意味付け/ラベリング/位置付け」をする存在だと言い放ってくれた訳です。
「よし、これから起こることはきっと自分にとって大事なものになるから、その一部始終を心に焼き付けるぞ!」なんて意気込むのは無意味だぞ、と。
「実際に経験する前からその瞬間を大事なものにしようとする無謀な試み」が失敗するたびに落ち込んでいた僕は、南武線の中でこの言葉に出会ってとても救われました。
不可避的に一緒の空間にいられる時間が限りがある、この紙飛行機で繋がる関係性に対しても、僕はしょっちゅう「ミスメモ感覚」を抱いて、その感覚と上手く向き合えない自分に焦燥感を覚えていました。
でも、今日の出会いでその肩の荷は少し降りました。
今この瞬間が「どんなものであったか」なんて意味付けは未来の自分に任せる、という姿勢をゲットできたからです。
そんな一日でした。
ちゃんと伝わったかな?笑
こんど、直接お話する機会がある時に、も少しちゃんと伝えられたらと思います~
他にも、工藤直子の詩集の中で「うぁ!これ僕だ!」ってめちゃんこ共感した短いお話についても書きたかったけど、今回の紙飛行機はいつも以上に折り目が付いちゃってるのでこれくらいで。
大声ダイヤモンドがどこかで元気に奏でられる夜に
おやすみんしゃい
miniguchi
2023年7月19日
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