「名前」という呪術
名前って一種の呪術らしい。
でも、言われてみれば確かにって思うな。
だって、例えば子どもに名前をつける時、
〇〇のようになってほしいな〜とか
△△な子に育ってほしいな〜とかを思ってつけることが多いやんね。
それって、親はその子の人生に対してひとつ大きな願いをこめるわけやし、その意味や願いのもと名付けられた子からすれば、
私はこういう風にならな!ってどこかで思わされてて、
無意識のうちにそこに縛られてるんちゃうかな。
「名前通り〇〇な子やね〜」
とか
「〇〇って名前めっちゃ似合うなぁ」
とか言われるのって、
きっとその子がもう、しっかり
“「名前」という呪い” にかけられてるからなんやと思う。
そんな私も、名前の呪いにかかってるな〜と、しみじみ思うのです。
【遊(ゆう)】
これが、私が親からもらった名で、
“勉強も大事だけど遊びも大事”
“いつまでも遊び心を忘れないでいて”
っていう思いが込められてる。
小2の頃、
“自分の名前の由来を聞く“っていう宿題があって
その時にはもう知ってたから、
ちびの頃からだいぶ染み付いてる気がする。
私は「遊」という呪いにかけられて、めちゃめちゃラッキー、超ラッキーかも。
遊びすぎても、
「まぁ、名前が遊やしな、、、そりゃ遊んでまうよな、、、、」
って腑に落とせてしまう( ◠‿◠ )
学業お仕事もちろん大事。
でも人生規模で考えたら何が1番って
そりゃ遊びやな。
これからも名前負けせんように、
いっぱい遊ぶために、勉強バイトがんばろ〜。
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