見出し画像

9年前から待ち望んだわたしの時代がやってきた

9年前から思ってた。

「あれ?この資本主義って続くわけないじゃん」

「地球も、自然も、人の心も、人の命まで犠牲になっているこの世界ってこれでいいの?」

「大人は何を考えてるの?」「普通に考えればおかしいよね?バカなの?」

「それともこんなことを考えるわたしがおかしい?

実はこんなこと考えなくても大丈夫なもんなの?」

そんなことを21,22歳のときに考えはじめた。



そんなこんなでそっからの就活がとても大変だった。

「大きなことじゃなくても未来に繋がるような、未来の誰かなにかに繋がる、意味のある仕事がいい」

どの会社を見ても、「それをやってどこの誰がどううれしいんだろう」「それをしてどういう意味があるんだろう」「その仕事、その会社のある意味ってあるの?」

HPを見ても、ビジョンを見ても、それらがお飾りのように見えて、どの会社を見ても薄っぺらく見えてしまって、どこの会社も「なにか」が足らなくて、「なにか」が違くて、卒業しても就職できなかった。




そして9年後のいま。

巷では、斎藤幸平さんの「人新世の資本論」が大ヒットしている。

「資本主義」について考えはじめている人が増えている。

(個人的には斎藤さんの考えには?のところもあって、全てに共感しているわけではない。でもこうして世の中に大きく課題を出してくださったのは、本当にすごいと思う。)

エシカル、サスティナブルという言葉もよく目にするようになってきた。

そして世界での目標「SDGs」も出てきた。
(大衆のアヘンかはわからないけど、みんなにもわかるようなバッチのようなキャラクターのようなsometingは必要だとは思う)

そして、去年発見した単語は「パーパス」
働く意味。その会社の存在の意味。
自分が探していたのは「パーパスがある企業だったのか」と思ったらすごくしっくりきた。



そんなわけで9年前に、モヤモヤとしていて、どう言語化したらいいのかわからず、どう向き合っていけばいいのかわからないものが、ようやくこの社会的にも顕になってきた模様。

自分のあの感覚はおかしくなかったんだ。

言葉にはできないけど、「なんかおかしい」っていうあの感覚を大切にしてきてよかった。

そんなふうに最近より思えるようになってきた。



いまはというと、当時ほど力んで「なにかしなければ!」という使命感?的なものも少なくなってきた。

それはとてもいいと思う。人生はマラソンのように長いから。
一時的なブームでは意味がない。頑張り過ぎて、そのときの気持ちがなくなるほうがよくない。ずっとコツコツと自分の心の中でその灯火を消さないように、自分も周りも心地よく生きていくことを一番大切にしたい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?