父の日に考えたことと誓ったこと
本日は父の日。
デパートやスーパーマーケットには、「父の日ありがとう」と特設コーナーが設けられ、お酒やネクタイなど、父が喜びそうないろんな商品が並べられている。
我が家の3人の子供達はからはプレゼントはおろか、メッセージひとつ届かない。
別に何か期待している訳ではない。
育ててやったのだから感謝の気持ちを持って欲しいなんて思っている訳でもない。
ただ、子供達には「今日は父の日何だなあ」という心の余裕をほんの一瞬でもいいから持ってもらいたい。
そう…余裕を持って欲しいのだ。
私自身がそうだった。
若い時、いっぱいいっぱいだった時には、「母の日」や「父の日」にプレゼントなんて、そんな心のゆとりがなかった時があったから。
何をそんなに苦しんでいたのか今となっては思い出せないが、とにかく余裕がなかったのだ。
ほんの少しでも気持ちに余裕があったときには、「感謝の気持ち」を表現できたが、大変だった時はそんな「感謝の記念日」なんて頭の片隅にもなかったな。
それぐらい切羽詰まってた時があった。
有難いことに私の亡き両親はそんな親不孝な娘の私を責めるでもなく、ただただ陰から精一杯応援してくれていたなあ。
精神的に余裕がある時、プレゼントを送った時には、本当に嬉しそうに感謝してくれた。
プレゼントがなかった年は、どんな気持ちだったのかは私はわからないが、今となっては電話だけでもしてあげれば良かったのに、そんな余裕すらなかった親不孝娘だった。
両親はプレゼントに感謝してくれたのではなく、私の気持ちのゆとりに感謝してくれたのかもしれない。
いつも優しかった両親に、仏壇に花束をお供えしながらこんなことを考えた。
私が今こんなに幸せなのは、両親のお陰です
いつもどんな時も自分のことより私達のことを思ってくれた両親
生きている間にもっと親孝行がしたかったです
あなた達は、私の自慢の両親です
たくさんの優しさをありがとう
なぜ若い時ってあんなに焦っていたのだろう。
なぜもっと余裕を持って暮らせなかったのだろう。
余裕なんてほんとにちょっとした工夫や心の持ちようでいくらだってできた筈なのに…
私は我が子供達を、あなた達がしてくれたような暖かい優しい眼差しで包み込むこんであげたい。
大人になるとは、おそらく「自分以外の人を大切にできること」なんだと思う。
子供はいつも自分本位でわがまま放題でも許される。
「自分以外の人を大切にできる」ようになれば大人で、何歳になっても「自分のことしか考えられない人」は子供なんだ。
ずっと子供で大人になれないまま30歳、40歳、50歳…の人もたくさんいる。
逆にまだ10代なのに、いや10歳にも満たないのに「大人」もいる。
私はまだまだ子供。大人になりたい。
大人になるために精進しようと誓った。
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