他の誰でもない自分の人生を歩んでいることから目をそらさない

先週のnoteを振り返ると、「朝起きたいと思える環境に整えることの大事さに気づいた」とか、「4分間HIITを見つけて続けられそう」ってかいてあったんだけど、

この一週間ずっと継続できたわけではないという着地になったので、笑ってしまっている。

まず朝起きたいと思える環境のためには、無駄を視界から消して、視界からの情報をスッキリさせることが大事だと思うけど、掃除とか整理あたりができていなかったな。。。(これは、今日家に帰ったらやろう)

4分間HIITに関しては、木曜日くらいから雨が続いて、「今日はいいや」って思って、好き!って思えるデリバリー中華に出会ってしまって、見事に運動と食事のバランスが崩れてしまった(あっさりすぎるやろ・・)

生理前なので、「食べたい」「ジャンキーなものを食べたい」という欲求も合ったように思う。

生理前の攻略方法、まだわかっていないんだよな・・・


まぁ、不思議なことに(ある種健全なことに)、自分がだめ。とは思っていない。(ただこのだらけた土日に、それは考えたけど)

もしかしたら、夢の中で十分実感をしたからなのかも知れない。


この数日、不思議な夢をみたこと


思い出した順番に記載をすると、

ほりえもんの意識高い系(若手向け)講座に参加した夢を見た。その回では、いわゆる学ぶことなどに意識の高い集団があつまっていて、オレンジのライトの中で、みんなでホリエモンの声に聞き入っていた感じだった。

今思えば、一瞬自分に隙きがあったように思う。

書物を読んでいたんだが、そこに出てくる人物の名前を私は覚えなかった。他のことを考えて居たのか、もしくは「何も考えていなかった」。目の前のことに集中しきれていなかったのだ。

最後、ホリエモンがテンション高めによってきた。私の前の人から順番に、問いかけを始めたのだ。

それは回の集大成のようなもので、みんなで士気を上げるために、今日の学びの軸部分(まさに人物名)を口に出して、答えるのだ。

でも期待の二人目であてられても、「人物名がでてこない」。

とても口の中でモゴモゴして、「ごまかした」。名字までいって、名前は適当に答えた。適当に、答えてしまった。

案の定、「は?」みたいな目で見られる。その場にいた数十人もこっちを見ている。

モゴモゴと答えた。ごまかした。でも、ごまかしきれなくて最後に「すみません出てきません!」と潔く答えた。

ずっと身体が熱くて、誰もそのことに触れないけど、触れちゃいけないみたいな雰囲気。自分だけがそれに囚われて、なんとかその恥の感情や記憶を消しさりたいと願っている状態。

そして、その場には、大学生時代に恋仲?に落ちた彼がいた。

思い出すことなど、数年後しでなかったのだが、身体の細い彼はそこにいて、私をみた。

その夢が終わった後に、彼とのことを思い出した。確か、映画を見に行ったりした。一緒にディズニーランドにもいって、帰りに電車を遠い彼がのがして(あれって実はわざとだったのかな?)ラブホテルに泊まった。

結果、彼がキスをしてきた以外には何もなかったし、「私はホテルに行かないといけないのか、断れないのか」と思った時点で冷めていて、ベッドの中にいても目を閉じて、キスをされていたときも寝たふりをしていた。

目覚めたくなかった。彼の熱い目を、見たくなかったし、その環状に気づいて答えたくなかった。変わりたくなかった。

彼のことは好きだったけど、恋人として愛せるわけではなかった。

ときめきなどなかった。

そうやって朝彼が仕事で先に出ていって、名残惜しそうにバイバイを言って、それも、私は寝ぼけたフリで気づかないふりをした。

その後、彼には会っていない。

彼からは連絡は来ていたし、多分会おうとも言っていたけど。

これで会ったら、確実に付き合う流れだなと思って、避けた。


恋愛魔だった大学時代の私。

常に誰かに愛されていないと、自分の存在の実感をすることができなかった。

薄々好意に気づいていて、ヒガミや気を使う必要がある女子よりも、男性と一緒にいるほうがずっと楽。と信じてやまなかった。

(だから圧倒的に本音まで語れるレベルの女子の友達が少なかった・・・今も別に多くないけど、ずっと付き合っていきたい友達は数人できたなぁ・・・成長したのかも。)


火のように、その関係がどこに向かっていくのか、終着点がどこになるのか、そんなことを考えずに猪突猛進していた。

燃えるように、一瞬一瞬を生きていた。

恋愛に関しては、「気をつけないといつか殺されるぞ!」とまで友達に説教されたこともあった。

でも、本当に危険なことは察知できる謎の自信があって、「大丈夫!」ばかり。(車に連れ回されたことなどあったけど、最終的には大丈夫だったな)


あのころの私は、自由だった。

どこが終着点でもよかったの。


追いかけなきゃいけない数字もなかったし、毎日誰に会うのかは、自分で決められた。

朝まで飲みつぶしたり、朝まで彼と過ごしたり。

慣れないクラブやクラブノリに頑張ってついていったり、恋人はいながら他の男性とホテルに泊まったり(結局セックスはしてないけど)禁断とわかっていながら会いに行って、家にとまったり、恋に落ちたり。

田舎から出てきて、自分をすべて捨てて、「新しい自分になる」と必死だった。探していた。


それがいつしか退屈になって、新しい軸を求めて社会人の世界を求めたけど。

今となっては、その自由さが恋しいかも知れない。

「会いたい」と思う周りの人も仕事をスタートして、昔ほど自由に会えなくなっているのは事実だけど。今向き合っているヒトの多くは、「社会人からのつながり」なので、話す内容や盛り上がることの多くが「仕事の内容」であることもそうなんだけどさ。


今は、悩むことの幅が、小さくなったのか、狭くなったのか、でも内容は昔より壮大なのか。

昔は、自分のことが当然中心だった。自分の恋、友だち、遊び。嫌いだったら離れることが出来たし、大好きな人とだけ絡むことが出来た。

でも今は、会社という「同じ志」をもったメンバーと、自分が外に出る選択をしない限りは影響し合う環境にいる。月曜から金曜は、決まったルーティーンの中で、経済活動をする。

好きなことができるのは朝と夜と、土日で、でも疲れてしまって寝てしまうことだって当然ある。

時間が少ない、足りない。もっと好きな音楽に触れる時間があればいいのにとかココ最近は強く思うようになった。「自分の趣味ともっとバランスを取りたい」、と。


時間の制限は生まれたけど、制限の中で、たしかに人としての成長痛を感じている。

好き勝手ではなく、社会や周りの人と影響し合う中で、「自分の嫉妬や自信のない醜い感情」を知ったり、それを乗り越えることを大事だと思えたり

部活のようにがむしゃらになって(それは良い悪い関わらず)、自分の選択を正解にすることのために頑張った

今は自分の人生のバランスを求めるようになって、がむしゃらになることに怖さを感じているし、今しかない人生これでいいのか?に解を自信満々に出せているわけではないけど、

少なくとも一日一日、無理のない範囲では当然あるが、「やりきった」という自分への自信が、スタンスや心情を大きく安定させる材料になることも知った。

その結果が、他者と比べると劣っていたりすることがあっても。昨日の自分との比較で、他の誰でもない「自分の人生」を歩んでいるんだろと。



夢の話に戻りたいけど、今日は外が寒い。

なので、一旦これで終了。温かい我が家に帰って、少し掃除をして、オフロに入って、マッサージをしながらなにの動画を見ようかな。

ふう。