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ほしとわたしたちとバイアス:日々のあれこれ

最近、特に対人関係において、星座っぽい置き換えを簡単にしてしまうようになった。

占いをかじると出てくる、「あのひとは○○だから〜」とおなじようなもの。自認しているものもあれば、外からみて、と思うこともある。綿についての場合はなにかにつけて「双子座だから」と距離の取り方も、気まぐれ。
のめり込んでいるはずなのに、なんにも読めていない。

先日盲や聾の方々が主役?のテレビのバラエティを見た。ドキュメンタリーではないから、ジャンルとしてはバラエティなのだと思う。

単純に、こわいなと思った。識ることと、見ることと。知ってしまったことと。
クセの強い性格に見えるのは、私達が私達の尺度でしかものごとを見ていないから。同じ状況で、自分もそうだとしたら、と。

たまたま、とある古い作品に触れて、さらに上の世代の偏見も知った。それが出版されているということは、当時は当たり前のことであり、一方で問題提起の必要があったのだろうとは、思う。

権利を主張するならまず○○を、とはよく言われるけれど、果たしてそれが何になるのか。結局コミュニケーションを取ろうとしないのはそちらの方ではないか、と思う。

特に、時間がかかるしなんとも説明をしにくいからとりあえず覚えておけばいいから、というのはあまりに雑だと、個人的には思う。ましてや義務教育ではない場だ。
それを学びたい深めたい人が集まる場で逃げてはいけなかったんだなと、過去の自分を省みる。

偏見なんて世界にあふれていて、そういう不平等はしたくないなと思いつつ、自分もまた、世界の広大さに溺れているひとりであるから、権利を主張したい側の一人である。

そんな自分が世界の架け橋になりたいと思うのは、おこがましいのだろう。だけれどやりたいことは、きっとそういうこと。

始めたことに対して、新しい本も買った。しらないことが、また増えていく。

知らない自分を許したことで、知ることへの面倒くささも少し薄れつつあるなと、と思う。

誤解や偏見で整理している世界に、土足で入る必要はないのかもしれない。ただ、私は私の不快を、すこしだけ、取り除きたいと、思っているだけの凡人なのである。

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