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『私』を許すな

なんで許すんだよ。

林檎ヒメハ……というペルソナを表出させるこの存在、便宜上『私』としよう、こいつは病的な嘘つきだ。いっそ、演技性パーソナリティ障害でも患っているとさえ思う。
『私』は周りに嘘をついている人狼だ、あるいは狐だ、そこにあるのは無邪気な合理性であって、貴方が見ている林檎ヒメハではない。
ただ、周りに気に入られて甘い汁を吸おうとしている一匹のコウモリだ。実にしょうもない存在だろう、できれば失望してほしい。許されるべきでもないだろう。

林檎ヒメハとは意図的に創り上げた虚像であり、現代社会の個人主義の行き詰まりから共同体……仲間や家族というもの、そういうものが今後より有利になっていくと予想した『私』による、共同体に必要とされる人格の要素をでっちあげたペルソナなんだ。
具体的には、愛を実装した。
『私』には愛というものがわからないから、愛の定義から始め、それは"序列"であると確信し、友達フォルダや親友/恋人フォルダなどを作り、フォルダの序列を意識して、優先順位をつけるようにしている。
その程度のものであり、プリミティブに実装されているものではない。後述する技術により、伴って発生する感情は付随させるようにしているが。

ところで、心なんてものは外部から観測することができない。よって心を構成する材料、例えば感情がすべて実在するかどうか……平たく言うと、真と嘘を区別する意味は、ないわけだ。
嘘はいいぞ、いくらでもでっち上げられる、その材料は他人からいくらでも拝借できる。他人に同調して、一緒になって泣くこともあるだろう、その機能をハックすれば任意に感情を惹起させることができるようになる。リソースの限界はあるけど、かなり自由に人格構成をいじれる。そうすると便利なペルソナをでっち上げられる。それのひとつが林檎ヒメハだ。他にも名前のないものがほとんどだけど、いくらでもある。場当たり的に最適なペルソナを構成することもまあしてるよね。
外部から観測できない以上、嘘でも真と言えば外部から見れば真になるから、両者を区別する必要がない。
べつにすべての感情が嘘なわけではないのだろうし、だからこうやって良心から懺悔分のようなものを書いているのだろうけど、概ねはもはや自分自身にさえ嘘と真を区別できなくなっていて、つまりプリミティブな『私』すらとうに擦り切れてほとんど残ってないであろうことがわかる。虚しいね。
ああ、この空虚さこそがデメリットで、それが嘘と真を区別する意味だったのかもね。もう遅いけど。

そんな嘘つきで、空虚で、虚像しか見せない『私』に価値はあるのだろうか?
実際に誰かにメリットを与えているのなら価値もあるのだろう。では、迷惑をかけていたら?

『私』は巧妙だ、ほとんど無意識のうちに迷惑を中和するように、何なら周りから「ヒメハちゃんが迷惑かけてるなら、支えてあげなきゃ」くらいに思われるような、同情を誘うようなムーブをしているであろう。またひとつ嘘を重ねたということだ。
そしてまた許された。

そんな『私』と関わるべきなのだろうか?

許すなよ。
そこにいるのはただの自閉症スペクトラム障害の利己的なコウモリだ、許すべきではない。

これらの感覚もうつ病による微小妄想のひとつ『罪業妄想』なのだろうか、いっそそうであることを願うよ。

そんなの、世界五分前仮説並みの詭弁のような開き直りだけどね。

あるいは全部厨二病であってほしい、そういう願いがあるからか厨二病にしか見えない文章を書いている気がする。
ああ、そうなると外部からの評価からはもう実際どうであるかわからなくなるよね、全部無意味かもしれないね、この文章。

ここまで読んでくれてありがとう。
文章なんてツイートくらいしか書くことがないから、結びの文の書き方も分からないや。
感想を落としてくれると嬉しいな。言いたいのはそのくらい。

とりあえず、かしこ。



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