人が一番傷つくとき
人が一番傷つくのはどんなときだろう。
信頼していた人に裏切られたとき、想いを寄せていたい人にひどいフラレ方をしたとき、心ない言葉を聞いたとき、自分の存在を認められなかったとき……傷つくシチュエーションは色々ある。
しかし、僕の実感値として人が一番傷つくのは、「守りたかったものを守れなかったとき」だ。
悔やみきれない忌まわしい記憶
いま頭のなかに、自分が守りたいものを思い浮かべてみていただければと思う。
家族や恋人、親友といった身近な人が思い浮かぶ人もいれば、文化や会社といったものを思い浮かべる人、あるいは自分自身とその信念という人もいるだろう。
それぞれが一様に守りたいものはあるはずだ。
もしそれらが冷酷にも傷つけられたり、壊されたりしたらどうだろう?それも、自身の不注意や力不足で守れなかったら、分かっていても止められなかったらどうだろう?
僕は知っている。それは、一生悔やんでも悔やみきれない忌まわしい記憶になることを。
罪の対象が自分自身であること
「守りたかったものを守れなかったとき」の厄介さは、その罪を贖わせる対象が自分自身であることだ。
罪を贖うためには、対象に対して罪を負わせる(復讐・責任転嫁)か対象を赦すしかないのだが、となると自分自身に復讐するか、自分自身を赦すことになるわけになる。
これは、どちらにしても難しいものである。
自分自身に復讐することに関してよくある勘違いが、自傷行為や自分自身に幸せになることを許さないということ。これらは一見、罪の贖い方としては良さそうに見えるが、実際には何ら解決にならない。
なぜなら、どこまで傷つこうが不幸になろうとも罪自体は消えることはなく、ずっと頭のなかにフラッシュバックするものだから。
一方、自分自身を赦すこともそう簡単にできることではない。他人を赦すことはできないのだから自分自身に対しても同じことである。
さらに言えば、自分自身の不注意や力不足が招いたことなのだから、責任転嫁もできない。自分自身の弱さや醜さをまざまざと見せつけられてしまうわけだ。
正しい罪の贖い方
だからこの罪を正しく贖える方法は、もう二度と同じ轍を踏むことがないように、守りたいものを守れる自分になることなのである。
かつて守れなかったもののことはずっと忘れられないだろう。僕も未だにフラッシュバックして、その度に奥歯を噛みしめ、髪を引きちぎる。
だけど、悔やんでばかりでも自体は悪くなるばかり。消せない過去なら、同じことが起きたときの対処法も教えてくれる。
その忌まわしき過去が、自分を、自分の大切なものを守ってくれるのだとすれば、その過去には大きな意味があるし、多少なりとも罪を贖うことにもなりうる。
壊してしまった分、守れるようになればいいのだ。
僕はそう思って、日々を生きている。
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