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医療専門職のみなさん、「安心社会」をでて「信頼社会」を覗いてみませんか?

こんにちは。おちあいです

月1度の岩手出張ですが、毎回新幹線の中での仕事の仕方を模索中です。
ということで、noteの更新にチャレンジしてみることにしますw
実はブログを開設準備中なので、noteとの使い分けに悩むのですが、
コチラでは日記や所感的なものを上げて行こうかなと思います。

ということで読書感想文w

「安心社会から信頼社会へ」を読み直しました。

最近、過去好きだった本を読み返すことをしていて、コルクラボに参加していた時に読んだ「安心社会から信頼社会へー日本型システムの行方」を久しぶりに読み返しました。

色々と抽象的な表現が多く、自分自身理解できているのか自信がないですが、ざっくりと

信頼は、

社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、相手の(自分に対する感情までも含めた意味での)人間性のゆえに、相手が自分に対してひどい行動はとらないだろうと考えること

安心は、

そもそもそのような社会的不確実性が存在していないと感じること

ということ。

これまでの日本社会は集団主義的な社会関係のもとで、安定した集団や関係の内部で社会的不確実性を小さくすることによって、お互いに安心していられる場所が提供されていたけど、それが崩壊(しかけて)いる。つまり「安心社会」が崩壊してる。でもそれは、「安心社会」から「信頼社会」へと作りかえるいい機会かもしれない。

といったことが書かれています。(本当にザックリですみません、汗)

看護の世界も安心社会は崩壊している?

改めて読み直してみて、これまでの看護の世界も「安心社会」だったのかも。そしてそれが、崩れてきているのかもしれないと思いました。

学生時代や病院勤務時代、個別性のある看護計画を求められましたが、そもそも治療や延命のために入院していたり(当たり前ですが)と、ニーズがほとんど同じ患者に対し、固定された治療計画やクリティカルパスがあるので、そこから上がる看護診断や看護計画はほとんど同じ内容になることもしばしば。不確実性や多様性を一部無視していた、小さくしていた気もします。
(沢山の患者を効率的に治療するためには大事だし、その中でも個別性を出そうと頑張ったことは、それはそれで楽しかったなー。でも実際、実習や勤務では多様性ない方が助かることも。。。)

専門性を磨き、認定看護師をとることも、大学病院で働くことも、もちろん自分自身の研鑽のため、個別性や専門性高いケアを提供するためですが、心の片隅には、

「最初は大学病院にいた方が良い(安心)」
「(安心して働くために)特定の診療科を磨くべき」
「院進や認定/専門看護師をとらなきゃ(とったらきっと安心)」

など、安定した集団や組織に属そうとすることで、社会の変化や不確実性を無視し、安心社会の住人になっていたのかもしれません。

いわゆる「マウントをとりがちな看護師(表現悪くてスミマセン)」は知らない診療科や他法人、多職種と触れる時など、自身の「安心社会」が崩れる、脅かされると思ってマウントを取ることで「安心社会」を守ろうとしていたのかも。だって不確実性や変化って突然直面すると不安ですもんね。

医療介護などの専門職が「安心社会」に住み続けることは難しくなるかもしれない

ご存知の通り、高齢化などの問題に加え、社会や患者の健康ニーズが多様化し、地域連携や在宅移行などが重要視される現代では、僕たち専門職の働き方もザックリと下記のように変化している気がします。

これだと、所属する病院・病棟の中だけや、同一法人だけなどの「安心社会」の中での働き方では対応できないのかなーと思います。法人の垣根を越えて、時には専門職ではない、地域の方々などにも、「よく知らないけど」信頼して、仲間に入っていただいて一緒にケアマネジメントをしないといけない。
それは「安心社会」ではなく「信頼社会」でケアを提供することを意味するのかもしれません。

不安ですね。。。。

「信頼社会」に引っ越すことでより「クリエイティブ」に働いてる人がいる

オランダには、ビュートゾルフという素敵な訪問看護ステーションがあります。

7-8年前、ビュートゾルフ代表のヨス氏が東大で講演したあとの懇親会に参加して、実際にヨス氏に色々質問する機会がありました。上の写真の左真ん中がヨス氏、お誕生日席がおちあい(懐かしいw

おちあい
「オランダやビュートゾルフはどうしてそんなに訪問看護師が増えたんですか?日本とは逆で専門性高いNsも地域に多くいるらしいですね。日本だと訪問看護をキャリアダウンと感じる看護師もいます。」

ヨス氏
「(延命や治療と決まった目的に対し、顔見知りのメンバーと、看護師にとってのテリトリーで行う病院での看護より、多様な目標を設定しインフォーマルな社会資源とも協働しながら、且つ相手のテリトリーで行う)訪問看護の方がクリエイティブだからだよ。そっちの方が看護師として自律してるでしょ?」

こんな感じだったかと思います。

これまで院内のマニュアルや、病棟や看護部の暗黙のルール(鉄の掟)で生きてきた僕(結構得意)にとって、ヨス氏やビュートゾルフの訪問看護師が自律性を持って、患者のために多職種と協働しイキイキと働く(語る)様子に衝撃を受けました。

いま改めて本を読み直してみると、あの時、「安心社会より、信頼社会で看護をする方がクリエイティブで楽しいだろう?」と言われていたような気もします。

よく考えてみると、ビュートゾルフの「知識経営(ナレッジマネジメント)」や「ティール組織」「ホラクラシー」などのキーワードは、信頼社会を生きやすくするための方法やマネジメントのような気がしますね。

信頼社会での看護は新しい発見ばかりで楽しい

僕は訪問看護で働き、数年経ちました。

緩和ケア認定看護師なんて偉そうにしていますが、最初は、
・介護保険?自立支援医療?指定難病?なにそれ美味しいの??
・いや、小児科や精神科マジ分かんない(冷や汗
・多職種の言葉は外来語なの?(絶望
・この福祉機器は数年先の未来からきたのですか?(死亡

などなどw、分からないことだらけでした。しかも患者のニーズもバラバラ。各専門職の価値観もできる事もバラバラ。
でも、(勉強はするけど)全て理解するなんて出来ないし、自分のルールを押し付けてもしょうがないし。ということでいい意味で諦め、自然と周りに頼ったり、話し合い、協力し合うようになりました。
自己開示も上手になった気がします。

ルールや管理を重んじ、不確実性を減らした「安心社会」から、不確実な中で、お互い色々違いはあるし完全に分かりきってはいないけど、みんなで目標に向かって協働する「信頼社会」へと引っ越していたのだと思います。

すると、
自分ひとりでは不安だった小児看護もみんなで協力し合うと、少しづつ自信がつきますし。
多職種を通じて看護の弱みや強みを再確認できたりと新たな気づきも多いです。

なにより、自分ひとり(看護師だけ)で頑張るより、色んな人と協働した方が、大きな成果が出せることを実感、体験できる機会が増えました。

日本社会が「安心社会」から「信頼社会」へ移行しようとしているように、専門職自体も「安心社会」から「信頼社会」の中で働くことを求められてくるのかもしれません。

もし今いる職場が「安心社会」で、そこに限界を感じたり、疲れてたりしている専門職がいたら「信頼社会」で成り立っている場所に遊びにいってみてはいかがでしょう?

「信頼社会」で活動しないといけない在宅領域は結構楽しいかもしれません。もし良かったら気軽に遊びにきてください。

お会いした際は、是非「安心社会」や「信頼社会」それぞれでの働き方などについて語り合いたいです!!

ではまた^^

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