言語は社会で生きるための「手段」なので、その手段の1つを効率重視でいかに早く形を整えるかより、持ち合わせたものをどうカスタマイズしどう使っていくかを、泥臭くても牛歩でもやっていく教育がしたい。教育は、急がば回れ。

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