喫茶へバナ、開業1ヶ月にして移転問題:改めてその存在価値を問う
2023年の暮れ、私は仲間と一緒に鍛冶町(青森県八戸市)に朝限定の喫茶「へバナ」をオープンさせた。
私の運営するゲストハウス「トセノイエ」の近くにある名店「せんべい喫茶」の閉店に伴い、そのコミュニティを絶やしたくないと、近くの惣菜屋さんを間借りして営業している。
「へばな」とは、青森県の方言で「またね」という意味。アメリカ在住経験のある仲間が、朝の出勤前にコーヒーを買う時に店員さんが言ってくれる「Have a nice day!(よい1日を!)」が「へばないすでい」に聞こえることから命名した。
(後日「へばな」は八戸の人々は使わず、実は津軽でよく使われているものだと知る・・・笑)
毎朝6-9時、店内は地域の方々で賑わっていた。ところが12月末、突然惣菜屋のおばあちゃんより事情により退去して欲しいと告げられた。
あまりにも突然すぎて衝撃だったが、開店して約1ヶ月経って、運営方法やコミュニティの維持方法について考える良い機会にはなった。
「せんべい喫茶」の流れを引き継いで、地域の方が毎日通えるようにコーヒーは250円に設定している。決して儲からないビジネスであるから、周りからは「これからも続けられるのか?」「喫茶ではなく、地域の方の自主的なサークル活動で良いのでは」などいろんな意見を言われた。
そんなことを言われるたびに、自分のやっていることに自信がなくなり、この機会に喫茶を辞めてしまおうかと思ったりもした。
この記事は、改めて「せんべい喫茶」までの歴史や、「喫茶へバナ」開店までの経緯をまとめ、そのコミュニティの持つ価値について考察し、今後の自分の意思を表示するものである。たぶんすごい長文になるが、ぜひお付き合いいただけると嬉しい。
全てのはじまりのはじまり:片町の朝市
「せんべい喫茶」ができた背景として、八戸で一番最初にできたといわれる朝市「片町(かたまち)朝市」がある。
戦後すぐのこと。農家に嫁いだ娘が街へ野菜を売りに出かけたがまったく売れず、泣いて座り込んだのが朝市をやっていた場所だと言われている。そこに通りかかった方が野菜を買ってくれ、そうしているうちに別の娘も並んで売り始め・・・その規模が大きくなったのが片町朝市だそうだ。
文字通り「八戸の台所」のような、ここにくれば野菜も魚もお花も惣菜も、なーんでも手に入るような場所だった。当時の賑やかさを、今でも惜しんでいる地域の方は少なくない。
十和田出身の私も小さい頃、八戸の祖父母の家に泊まりに行った時は「朝市に行きたい!」とおねだりし、片町朝市とその近くにある曽祖母の家(現・トセノイエ)に行ったものだ。小さい時なので記憶は薄いが、なんとなく好物の赤飯を食べたいとか、朝早くから活気があったワクワクしていた気がする。
残念ながら2010年に幕を下ろしたが、その後も周辺で朝しか開いていない八百屋や惣菜屋、喫茶がある。そのうちの1つが、「せんべい喫茶」だった。
「せんべい喫茶」朝市の名物に
1991年、上館せんべい店のご夫妻が近隣の空き店舗を借りて、片町に「せんべい喫茶」をオープンした。
こちらで言う「せんべい」とは、青森県南や岩手で食べられている郷土料理「南部せんべい」のこと。普通のせんべいは米を使っているが、こちらのせんべいは小麦を使う。その由来は諸説あるが、季節風が吹き夏が冷涼なこの地方で米が育ちづらく、代わりに作っていた穀物の1つが小麦だった。
上館せんべい店では、おやつとして食べる胡麻せんべい、豆せんべい、その他のり、アーモンドなど様々なフレーバーのせんべいと、
郷土料理「八戸せんべい汁」に入れるためのおつゆせんべいを今でも製造している。
そんな上館ご夫妻が営んでいた「せんべい喫茶」では、やきたてふわふわの「てんぽせんべい」が提供されていた。小麦と水、粗塩というシンプルな材料だけども、その塩加減がちょうどよく、また上館さんによる手焼きの温かさと相まって、とても美味しくてほっこりするのだ。
てんぽせんべいとコーヒーで、250円。
上館さんによると、開店したての頃はお客さんが全然来なかったとか。
でもそんなこと説得力がないくらい、この33年間でたくさんの地域の方々に愛されてきた!!!!少なくとも私が通っていた、トセノイエを開業してからの1年間は、行けばいつも常連さんで賑やかで、店の中に入り切らずに外で飲食をしていたお客さんもいたくらい!
実はせんべい喫茶の閉店直後に、常連の方々の集まる飲み会に参加したのだが、そこには40名を超える八戸の先輩方がいたのは本当にびっくりした。
お客さんのほとんどが常連さんで、かつほとんどが70代以上という少し閉鎖的な場ではあるが、そのコミュニティは私のような移住者や、トセノイエに泊まっている県外の方をも受け入れるしなやかさもあった。そんな場が懐かしくて、心地よくて。宿泊してくれたゲストさんが興味があれば、早起きしてせんべい喫茶へ連れて行っていた。
「どちらから来たの?」から始まって、そこは行ったことある、住んだことある、行ってみたい、から段々と会話がひろがっていき、八戸の見所や歴史も詳しく教えてくれる。説明しているうちに「何言ってるかわかるか?これでも日本語しゃべってるんだ、ハハハ」と上館さん。ユーモアも交えて話してくれるので、本当に皆さんに愛されている。
若いイケメンが来ると、「みのりちゃんのところには、イケメンしか泊まらないわね〜〜」とおばあちゃんたちが元気になり、若い女の子が来るとおじいちゃんたちが喜ぶ。たぶんこの1年でみなさんの寿命を2年くらい延ばすことに貢献できたのではないかと思う。
またこのコミュニティのすごいところは、八戸のレジェンドたちが集まることだ!老舗せんべい店のご夫妻はもちろん、郷土芸能「南部手踊り」の名人で県知事にも表彰された方や、趣味で描いている絵のレベルが高すぎて季節ごとに店舗に絵を飾ってくれる方、定年後にパラグライダーを始めて77歳になった今でも飛び続けている方、流鏑馬の名人、間違えてサッカー選手になるところだった方、今でも現役で会社を経営している方、卓球の世界大会でヨーロッパや南米を飛び回っていた方・・・など。こうした人生の先輩から学ぶことは多かったし、朝早くからたくさんのエネルギーをもらえた。
上館さんもせんべい喫茶閉店に際し、この場のことを「生きた事典」のようだったと、各社への取材で話していた。毎朝のようにここに集まり、いろんな分野に長けた方達と情報交換をし、常連さん同士でも学び合っていたという。
こんな素敵コミュニティなので、県外からのファンもいたそうだ。実際に11月中旬ごろ、閉店前にと長崎から駆けつけた方も!トセノイエのゲストさんも、この場所がとても温かみがあると気に入ってくれた。
本当に本当にたくさんの方に愛され、そして惜しまれて「せんべい喫茶」は2023年11月20日に閉店したのだった。
今これを書きながら、最終営業日のことを思い出したが、常連さんとの交流をたのしみつつも、「もうこの場所で、この景色で、上館さんが作ったせんべいを食べることができないのか」と、例えは悪いがお葬式に参加しているかのような、心に穴が空いたような寂しい気持ちであった。
【せんべい喫茶閉店に際しての記事まとめ】
・八戸経済新聞「八戸・上舘せんべい店の喫茶が閉店 地元の若者「エネルギー引き継ぎたい」」
・デーリー東北「早朝の社交場、惜しまれ閉店 「せんべい喫茶」33年の歴史に幕」
・東奥日報「焼きたて1枚50円 早朝の憩い「せんべい喫茶」閉店 味、値段33年変わらず」
すごい勢いで開店した喫茶へバナ
せんべい喫茶の閉店間近、常連さんの1人が「あんた喫茶やんねが?」と。朝集まれる場所がないのは常連の方にとってもとても寂しく、ぜひ自分にやってほしいとのことだった。
毎朝早起き(上館さんは朝4時には店の準備を始めていた!)するのは大変だろうし、自分もよく県外に出張に出るので、朝の喫茶をやるなんてそれまでまったく考えたことがなかった。
また近隣に貸店舗はなく、喫茶をやれる場所もなかった。常連さんたちが子供だった頃、片町や鍛冶町のエリアはたくさんの商店やものづくりの工場があったという。下駄屋さん、鍛冶屋さん、せんべい屋さん、いろんな業種が集まっていたので、子供がその様子を見るのが楽しくて、遊び場のようだったそう。でもその繁栄も今では、店舗部分を住居や物置として使っていたり、老朽化により貸したくないと言われたり、持ち主が不明の空き家になっていたり。
毎朝6時半からのラジオ体操(近隣の長者山というところで、1/1と2/17以外雨の日も雪の日も毎日やっている!)に参加し、歩いてせんべい喫茶に来るのが日課の方もいるので、遠く離れた場所に店を借りるという選択肢もなかった。
皆さんが居場所が欲しいなら、ちょっと早起きして頑張ってみてもいいかなーなんて考えながら日々が過ぎるうちに、なんと常連さんが勝手に新店舗の候補を探してきた!!!せんべい喫茶から数十メートルのところにある、最近おばあさんが惣菜屋を再開させた場所だ。
たしかにここなら営業許可もあるし、間借りする形ですぐに営業ができそう!自分はせんべいを焼けないけれど、ここならお客さんもおばあさんのお惣菜を食べられて良いかも!!!と。一気に喫茶を開くのが現実味を帯びてきた。もし喫茶をやるなら通うわよ、と言ってくれる常連さんも出てきた。
すでに述べたように、私にとってもせんべい喫茶は心が穏やかになるパワースポットであり、なくなるのはとても寂しかった。トセノイエに泊まったお客さんにも、この場所の良さをもう味わっていただけなくなるのは惜しすぎた。
またこのような朝早くから元気なお年寄りたちが集まって笑いながら話しているという光景は、43都道府県を旅した自分でも見たことがない!集まる常連さんたちは八戸の街を作ってきた方々であり、芸術や商売等に長けた彼らの生き様自体が文化であり、アートであると思う。これは八戸の片町・鍛冶町という土地が生んだ、唯一無二の価値!!それがなくなるということは、八戸にとっても大きな損失である。
こんなに新店舗のための条件が揃っているのに、やらないという選択肢は自分になくなっていた。
それで、やりたいという意思を周りに伝えたら、ありがたいことに自然と20-30代の若い仲間が集まってきた!!!!
上館さんより捨てるはずのテーブルや椅子をいただいて新店舗に移動させて、みんなで開店の準備をした。
11月20日にせんべい喫茶が閉店、そして12月1日の「喫茶へバナ」をオープンさせた。今考えるとすごいスピード感だったと思う!
この記事を書いているいま(1月15日)、開店当初の写真を振り返ってみるとお客さんは10人ぐらいしか写っていなかった。1ヶ月やってみて、だんだんとせんべい喫茶時代の常連さんが戻ってきたり、新しい地域の方も来たり。お客さん主催の上映会や、七草粥のふるまいなども実施。このような企画は、前のせんべい喫茶ではやっていなかったものだ!若者が運営する新店舗だからこそ自由な発想で、常連さんたちの主体性も相まって生み出されたのだと思う。
また毎日違う若者が店に立ち、常連さんは若さとエネルギーを得ているようだった。「昨日スーパーで〇〇くんに会ったよ」とか、「最近〇〇さんは店にいないけど元気?」など、皆さん気にかけてくれている。これまでの高齢の常連さんに、若い世代が交わることで、私たちは人生の経験や八戸の歴史について学ぶことができるし、常連さんたちは新たな人との繋がりができて幸福度が少しだけ上がっているようにも思える。
いい感じに盛り上がってきた中、12月終わりに退去するように大家さんから告げられたのだ。
【喫茶へバナについての記事】
八戸経済新聞「八戸・鍛冶町に朝の交流拠点 せんべい喫茶のコミュニティー引き継ぐ」
自然発生だけど、それが必然だったのかもしれない
片町朝市〜せんべい喫茶〜喫茶へバナの歴史・経緯について書いてきた。ここまで書いてみて、当初は「自然発生的に朝市〜へバナが生まれた」と書こうとしていたが、いまその見出しを変えて、この現象は偶然だけども必然だったのかも?と思い始めてきた。
朝市は、農家の娘がたまたま片町に座り込み、その野菜を買ってくれて、そうしているうちに自然とたくさんの出店者が集まるようになった。
その周辺で昔から拠点を構えていた上館せんべい店のご夫婦が店をはじめ、そこに自然と八戸のレジェンドたちがたくさん集まるようになった。
せんべい喫茶が閉店することになり、常連さんが自然と新しい店を探してきて気がついたら自分が喫茶を継承していた。
これが全て、誰かが計画したわけでもなく、自然発生的に起こっているからすごいし、価値がある!と思っていたけれども、
この現象を裏返すとそこには必然もあるのかな?とも思う。
せんべい喫茶は、素敵な常連さんがたくさん集まるコミュニティであるが、それが集まったのは間違いなく上館ご夫妻が前向きで明るく、ユーモアに溢れているからなのだと思う。
常連さんが勝手に新店舗を見つけてきたとはいえ、そこには私のやりたい!という”WILL”があるから開店できたのだと思う。
朝市ができたのも、きっと農家の娘の人柄が良かったとか、なにか起こるべくして起こった要因があるのかもしれない。
移転問題に際し、いろんな方から「儲からない」「続かない」「無理し過ぎて心配」などネガティブな意見も寄せられ、この文章を書きながらも正直新しい場所でへバナを再開するのが正解なのかわからない。わからないから、1人になるとネガティブな意見ばかり思い出してしまって結構辛い。
でもブルーな気持ちでいるときに、地域の方が相談に乗ってくれたり、1度トセノイエに宿泊してせんべい喫茶を尋ねたゲストさんからわざわざ連絡がきたりして、せんべい喫茶やそれを引き継いだへバナの価値を再認識させられるのだった!
朝市〜へバナまでの様々な事象は自然発生的であるかもしれないけれど、ところどころ、そのきっかけとなる出来事には、登場人物の”WILL”が働いているのだと思う。だから今こそ、自分の"WILL"を提示して、続けるのか辞めるのか、続けるならどうやってうまく続けるか?を考える必要があると思う!
どうして続けたいのか?:一番は、自分が必要とされているから
前述ようにせんべい喫茶、そして引き継いだ喫茶へバナには、その場が持つ歴史・文化的価値や、お年寄りの情報交換、生存確認、ボケ防止の場としての価値など、たくさんの魅力がある!!!これは自信を持って言える。
そこに関わり続けることで、これまでせんべい喫茶やへバナで見てきた景色や、その場がもつエネルギーを受け継ぎたい。この場をどうポジティブに昇華させて創り上げていくのか、関わることでワクワクするという気持ちもある。
でも、なぜそこをあえて誰かにやらせるのではなく、自分が責任をとってまでやるかと言うと、究極は、喫茶にきてくれている顔が見える常連の皆さんが、自分という人間を必要としているからなんだと思う。(もしかしたら、他にも喫茶運営してくれる人の候補がいれば、その人を必要としていたかもしれないが、これが私だったのも偶然であり必然ということで。)
儲からない事業なので、例えば常連さんが自ら公民館等を借りて、会場費や飲み物代をカンパしてやるのはどうか?とのアイデアもあった。
実際に常連さんに聞くと、そこまでして集まりたいと思わない、と。肯定的な意見は聞かれなかった。私自身ももしこれが高齢者のサロンだったら、みずから早起きして足を運んでお手伝いしよう!とは思わない。
喫茶という、常連さんが気軽に来れる場所だからこそ、友達に会いに来る人もいれば、ボケないように毎日通い続けている人もれば、日課のお散歩中に立ち寄る人もいれば、私の顔を見に来る人もいるなど、多目的でへバナを活用いただけるのだと思う。通ってくださる方の目的が達成されるのであれば、私も喜んでその場を運営したいと思っている。
「私」と「あなた」の価値交換の輪を広げ、「生きた事典」をつくっていきたい
ちょうど最近『ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済』という本を読んだ。著者の影山知明さんは、経営コンサルティングやベンチャーキャピタルでの勤務ののち、東京の西国分寺で「クルミドコーヒー」というカフェを開業した方だ。
詳細はぜひ本を読んでいただきたいが、まず印象に残っているのは「特定多数経済」という言葉。現代のグローバル経済が市場を媒介して、不特定多数の人々で価値の交換が行われているのに対し、著者のカフェでは「特定多数」の人々の間で価値交換ができないかと構想している。
それも、お金のために事業をするのではなく、"give"をすることで特定多数の交換関係を作れないか?と模索している。
ここでいう"give"とは、お客様に良い時間を過ごしてもらうために、まずは事業者側が仕事に時間や手間暇をかけること。それを受け取ったお客さんが「いいものを受け取っちゃったな」「なにかお返ししないとな」という「健全な負債感」を持って、またお店にやってくること。
そんな特定な「私」と「あなた」の価値の交換(それが不等価だと「健全な負債感」をお客さんは抱く)を行い、その輪を広げていく。著者はそんな取り組みを、カフェ事業から始めている。
これを読んだ時、へバナの運営はすでにこのやり方で進められている部分もあるな、と発見した。
多数、まではまだ遠いけれど・・・。朝早すぎるし、ちょっと古い建物だし、コーヒーも常連さんが毎日来れるようにやすく設定している分どうしてもクオリティは高くないけれども、特定の個人の間では交換関係を築いてきている。「私」を起点に、関わってくれている20-30代のスタッフ(各々何かしらのモチベーションが働いて関わってくれていると信じている!)や、きてくださるお客さんの一人ひとりがとても大事な存在で、その集合体としての片町・鍛冶町というエリア、ひいては八戸に愛着を感じている。
コーヒー250円という定価以上に、その場に若者やお客さんが楽しく関わって各々の目的を達成しているからこそ、(雪の日以外は)高頻度で通ってくれるのだと思う。
このような交換の輪を広げた先に思い描くのは、上館さんがせんべい喫茶閉店の際に各報道機関からのインタビューで答えていた「生きた事典」。
せんべい喫茶にはそれぞれ異なる得意分野や長所をもった常連さんがたくさんきていた。へバナとして移転・継続していく際には、せんべい喫茶の時のように「このことは〇〇さんに相談しよう」「〇〇さんならこの分野で協力してくれる」など、誰がどういう人で、何か好き・得意というのが見える関係性を広げていきたい。
これから先、いつ災害やパンデミック、大規模な不況が起こるか本当にわからない。仕事をしたり、何かを生み出したり、楽しく遊んだり、不安を解消したり。不安定な世の中でもよく生きるには、自分1人だと決してできなくて、必ず人との繋がりって大事になってくる。トセノイエもそうだけれども、へバナでも人と人とのつながりを大事にしたい。
今は生きた事典には地域のお年寄りの方が多いけれども、ここに20-30代の若者や、親子、外国人など、属性に関わらずいろんな方のページを刻んでいければと思っている。
特に外国人と地域の子どもたちとはもっとつながりたい。
現在任意団体として、国際交流のイベントを開催している。というのも、幼少期に英語を勉強するのが好きだったが、学校のALTの先生と話す以外に外国人と交流できる機会はなかったためだ。自分は英語が得意だと思って東京へ進学すると、向こうの同世代たちは高校から留学したり、国際交流の機会があった子達がたくさんいて、教育格差を諸に感じたからである!
先日、餅つきイベントを開催したら20名を超える方々に来ていただき、大変盛り上がった。アメリカ人の参加者の1人から、せっかく八戸に赴任されたのに、ローカルの人たちと知り合う機会がないから、このようなイベントをまた開催してほしいと要望があった。また英語に苦手意識のある小学生の女の子は、初めは緊張していたものの、夢中になって胡桃割りに挑戦していたら、自然と、なんとなくアメリカ人のキッズと意思疎通していたのは嬉しかった。こんな感じで、国籍とか関係なしに集まれる場所を、へバナでも体現できればと思う。幸いなことに、私の周りには外国語の堪能な仲間が多く、うまく場を取り持つことができるように思う。
力尽きたので最後に
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
8,700字・・・さすがに疲れてきたのでこのへんで終わりにしたい。
朝市〜せんべい喫茶〜喫茶へバナが繋いできた価値と、それをどうしても続けたい理由について、ここまで読んでくださった皆様に伝わったことを願っている・・・!周りからネガティブな指摘を受けると1人で気持ちが沈んでしまうけれども、考え直すと必ず、喫茶へバナをここで辞めてしまう理由なんで1つも見つからないのだ!気持ちがブレぬよう、こうして公の場で意思表示をさせていただいた。
事業計画については別途作成するとして。ここからはやりたいことの羅列。
喫茶へバナで「生きた事典」を体現し、拡大していくには、
朝の喫茶をこれまで通り継承することと、それ以外の時間でも気軽に立ち寄れる場所であり続けることが大事だと思う。
そのため、特に週末の昼など、仕事や学校に通う方々でも来れる時間帯に、飲み物(酒も!)片手に美味しいものをつまんで、おしゃべりできる場にしたいなと考えている。
二十歳のとき1ヶ月ほどイタリア・ヴェネツィアに滞在していた。バルのお外で、ワイン片手に友人たちと交流を楽しみまくった。樽のテーブルで立ち飲みスタイルと、テラス席スタイル。欧米の方がこういったチルな休日を楽しむように、ゆったりとした時が流れる片町・鍛冶町にて大切な人たちとのおしゃべりや、新しい人との出会いを楽しんでほしい。
また現状、店に立つ20-30代のメンバーからは、彼らの意志によりボランティアで関わってもらっている。
これから新店舗で営業するなら、引越しや改装作業が出てくると思うが、店番を含めコミュニティへの貢献度を地域通貨のようなもので還元することはできないかと思っている。そこで得た地域通貨を、トセノイエや喫茶へバナ、また提携する店舗で使うことができれば、コミュニティがよりアクティブになるのだと思う。
また、片町・鍛冶町のエリア自体や、そこを構成する人々の魅力を伝えるべく、これらに特化したメディアを作れたら面白いと思う。それを収益化したり、国などからお金を引っ張ってきてこちらでのライター等の仕事を生み出せたらなお良いな、と。
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喫茶へバナは、特に飲み物や料理などの「モノ」にこだわりがあるわけではないけれど、そこに集まる「人」、その人たちが集まる「場」そのものに価値がある。
その価値を理解してくれて、次の世代にも繋げたいという方がいらっしゃれば、ぜひ下記のようなことをお願いできないかと思っている。
①ぜひ店に足を運んでいただく
②スタッフとして参画していただく
③必要な物品等を寄付いただく
④必要な経費についてご寄付いただく
もちろん、文章では伝わりきらなかった私の思いや事業プランについては、個別で別途じっくりお話させていただきます。ぜひ鈴木のSNSよりお問い合わせください。
資本力とか地位とか権力とかどうでもいい。人生1度きりだから、自分がその時にやるって決めたことを、最後までやり切りたい!!失敗しても、私が失うものなんて何もないのだから。
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1月16日追記:
早速皆様読んでいただき、ありがとうございます。
ありがたいことに遠方ということもあり、寄付で応援したいというお声をいただいております。
クラウドファンディングをやるかどうかはまだ未定ですが、もしよければnoteの投げ銭機能より、ご支援いただけますと幸いです。こちらの記事の一番下にある、緑色の「気に入ったらサポート」ボタンよりご支援いただけます。何卒よろしくお願いいたします。
いただいたサポートは、私が仲間と一緒に運営しているコミュニティカフェ「喫茶へバナ」の移転・改装費に充当させていただきます。 何卒よろしくお願いいたします。